前回書いたとおり、習い事が子どもの才能を開花させたり、将来に役立つとは私は思っていない。脳の発達にいいとも思っていない。でも、我が家では息子の習い事に年間100万円を超える課金をしていて、週4日はあちこちに通っている。(※編集部注:この原稿は3月中旬に書かれたものです。現在は新型コロナウイルスの影響で習い事はすべてお休みしています。)
それはなぜか。
「さすがに暇そうだったから」だ。
習い事=楽しいイベント
現在2歳半の息子が幼稚園に入るまでは、まだだいぶ時間があるけれど、毎日ママやパパ(同じ人)と遊ぶだけっていうのは何だかなぁ…と、単純に様子を見ていて感じた。
だから、習い事の1つ1つについて、めちゃくちゃ吟味をして「これぞ!」というチョイスをしたわけではなく、「とりあえず見学をしてみて、問題を感じなければアリかな!」という、かなりラフな基準で選んだ。
ちなみに問題を感じる場合というのは「え、未来の社畜を育てようとしてるんですか?」と言いたくなるようなブラックな教育スタイルだったり、厳しすぎたりお堅すぎる雰囲気だったら、それはナシかなと想定していた。それだとなんだか悪影響がありそうだし、逆に可能性を狭めそうだから、そういう習い事ならしない方がよさそう。
だけど、そうじゃなければ基本的にアリで、本人が楽しそうであればOK。授業料のことは「楽しいイベントへの参加費!」と捉えていて、「いま頑張っておくことで、将来が楽になるはずだから!」などの期待は一切していない。
とはいえ「習い事なんて意味があるわけがない!」と決めつけているわけではない。やらないよりはやった方がマシくらいの効果はあるのかもしれないし、あれこれ教えてくれる人が親以外にもいることはプラスになると思う。 それに複数の習い事をすれば、そうじゃない場合より遥かにいろんな経験をするから、発育や発達が早まりやすいとも思う。
結局その子どもが持って生まれたものとの相性次第
ただ、別に、そのことが20歳になった時の仕上がりに影響を与えるかといえば、よく分からない。とにもかくにも、私は大した教育を受けていないが夢を叶えたし、得意なことを仕事にしてお金も稼げているし、好きな人と結婚できて、良い家に暮らせている。だから「結局のところ、将来どうなるかは物心がついてからの本人次第なのでは」と思う。
それに、どんなに優れた教育法であっても、結局その子どもが持って生まれたものとの相性次第な部分が大きいだろうし。
例えば、夫は「俺は公文式でめちゃくちゃ伸びた!」と言っていたけど、私は小学生の頃にちょこっとだけ通った公文式の塾がめちゃくちゃ苦手で苦痛で勉強が嫌いになるキッカケにすらなった。成績も点数も、少しも伸びなかったし、あのときに感じた「やってもやっても伸びない感」は、未だにトラウマなくらいだ。
そんなわけなので、子どもの習い事については「本人が楽しそうで、心身に害を及ぼす危険性がなければOK」というスタンスで、今もこれから先もずっと付き合っていこうと思っている。
(ちなみに、2歳の息子が習い事を始めるにあたっては、初めて親と離れる経験をすることになるから、それが辛くて泣いてしまう場面はある。ただ、それはいずれにせよ避けては通れない道だから、辛そうであっても「害」ではなく許容範囲内。その後ちゃんと笑っているならば「楽しそうに通っている」という風に捉えている)