叱るときは、感情まかせにならない
褒めることと同様に、叱る場合も、よくよく注意しなければならない。
私は「叱る」と「褒める」は結果的に同じ行為だと思っている。どちらも根底には愛情があるからだ。人にもっと成長してほしい、一流になってほしいと思うから、褒めたり叱ったりするのである。
ただの憂さ晴らしや責任転嫁、保身などから感情的になって怒鳴るのは、「叱る」ではなく「怒る」だ。叱るのはいいが、決して怒ってはならない。
指導者としては叱ったつもりでも、感受性は人それぞれで、受け止める側が「怒られた」と認識して傷つく可能性はある。だからこそ、私はよほど選手が間違ったことをしない限りは叱らないようにした。叱るときは、感情まかせにならないよう自制していた。
叱ることの目的は、何が悪かったか、何が足りないかを本人に気づかせることにある。人は叱られることで「なぜ叱られたのか、何が問題だったのか」を自問自答する。そして、「次はどうすればいいだろうか」を考えて改善しようとする。その過程が成長をうながすのである。つまり、反省、改善、成長へとつながる叱りでなければならない。
教える側の人間が根拠を持たずに怒ってばかりいると、相手の反省心は薄れて、怒りを受け流すようになる。すると、いつまで経っても同じ失敗を繰り返す可能性が高くなる。
思えば、南海時代、私は鶴岡監督から毎日のように「怒られて」いた。ピッチャーが打たれ、ベンチに戻ると、監督からカミナリを落とされるのが常だった。
「野村、今打たれた球は何だ?」
「真っすぐです」
「バカタレが!」
そうして後日、似たような場面になり、変化球で勝負しようとカーブを選択して、またヒットを打たれてしまった。ベンチでは顔を真っ赤にした監督が待ち構えている。
「おまえ、何を投げさせたんだ!」
「カーブです!」
「バカタレが!」
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