十一
その数日後、大隈と副島は船上にあった。ちょうど土佐藩の小型帆船「朝日丸」が大坂に向かうというので、慶の伝手で乗り込ませてもらったのだ。
二人は船には慣れているので、よほどのことがない限り、船酔いはしない。それで物珍しそうに歩き回っていると、もみあげを長く伸ばした大柄な武士から声を掛けられた。
「そなたらが佐賀藩士か」
「いかにも」と答えてそれぞれ名乗ると、その土佐藩士は横柄な態度で「後藤象二郎だ」と名乗った。
二人がきょとんとしていると、「わしは土佐藩の執政を任じておる」と後藤が胸を張った。それで他藩士なら「ははあ」となるところだが、佐賀藩には役職に物怖じするという風潮がない。それでまだきょとんとしていると、後藤が不快そうに言った。
「此度の密航は許し難いことだ。しかもそなたらは脱藩したというではないか。さような者を船に乗せたとあっては、貴藩と弊藩の間に軋轢が生じる」
「ははあ、そういうものですか」と、とぼけたように大隈が応じたので、後藤が声を荒げた。
「当たり前だ。逆だったらどうだ。そなたらはわしを縛り上げ、弊藩の役人に突き出すだろう」
「でも貴藩の坂本大兄は、脱藩士にもかかわらず、どこの誰の船でも、自由に乗せてもらっているではありませんか」
後藤の顔がひきつる。後藤は坂本のことをよく思っていないらしい。
「わしの知ったことか。彼奴は土佐でも持て余しておる」
「われらも佐賀では持て余されています」
副島が大隈を見る。その視線には「そなたがそうでも、わしは違うぞ」と書かれていた。
「何でもいいから、船に乗せてやった礼くらい言うのが筋だろう」
「ご尤も」と言うや、大隈が礼を述べた。
「それでよい。ところで脱藩するのはよいが、どこの誰に会いに行く」
「それを申し上げねばなりませんか」
「ははあ、そなたらは佐幕派だな」
副島が初めて口を挟む。
「佐幕派ではないが、そなたにそれを言う必要はない」
「船に乗せてもらって、随分と偉そうな言よう草だな。ここで海に落としてもよいのだぞ」
大隈がちらりと海を見る。ちょうど玄界灘に差し掛かったところで、ひどく海は荒れている。
——ここではまずいな。
いかに泳ぎが得意な大隈でも、ここからでは陸にたどり着ける目算はない。
「副島さん、ここで落とされるのは、まずいかもしれませんよ」
「そんなことは分かっている。わしは泳げんしな」
後藤がにやりとする。
「お望みなら瀬戸内海でもよいぞ」
「やれるもんならやってみろ!」
「何だと!」
副島と後藤が取っ組み合いそうになったので、すかさず大隈が間に入った。
「副島さん、ここは任せて下さい」
そう言って副島を背後に押しやると、大隈は後藤に一礼した。
「非礼は平にご容赦を」
「謝罪するならそれでよい。で、何をしに行く」
「ああ、そのことでしたね」
大隈が「将軍家に会いにいく」と答えると、後藤が乱杭歯をき出しにして笑った。
「天下の将軍が、そなたらのような下賤の者に会うはずがあるまい」
「おい」と言って副島が身を乗り出そうとする。
「われらを馬鹿にするのか!」
「副島さん、任せて下さい」
そう言って副島を再び背後に押しやると、大隈が問うた。
「では、将軍家の側用人にお会いしたいのですが、誰がよいでしょうか」
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