紫原明子の息継力
読み進むほどに、なんとなくリラックスした気持ちになるのはなぜ?
段落って結局、どこで切ったらいいんだろう。
国語の授業なんかではたしか「話題が変わるところで段落を変えよう」って習った気がする。しかし本当にそれだけだろうか。
文章に関するルールは数あれど、段落ほど書き手によってバラバラなものってないような気がする。
京極夏彦さんのようにじれったいくらいに段落を変えない書き手もいれば、新井素子さんのようにジャンジャンバリバリ段落を変えまくる書き手もいる。
そしてどちらも読みやすかった。
なんだ、じゃあ好きなとこで段落変えればいいのか!
…で、考えることをやめてよかったのですが、執念深い私はなんか規則性があるんじゃないか、みんなが「これだ!」って腑に落ちる法則があるんじゃないかと、ずっと調査していたのです。
その結果、見つけてしまったんです、法則を。
あの、いきなりですが、その調査結果を発表します。
どこで段落を変えるべきか。それは「ひと息で読んでほしいところまで」。
…えええ? なにそれ? 抽象的!
という非難の声が聞こえてきそう。
わかります。たしかにじゃあ「ひと息」ってなんだよって話ですよね。
私は思うのです、本当にすごい書き手は、“読み手の呼吸”のことをまで意識しているんじゃないかと。
段落のはじまりは息を吸うタイミングであり、段落の途中で呼吸を止め、段落の終わりに向かって吐いていく…。そんな感じです。
水泳をイメージしてみてください。大きく息を吸って、飛び込み台からじゃぼんと飛び込みますよね。
「段落が少なめ文章」というのは一気に読んでほしい文章だから、潜水状態で進ませ、その間、読み手に息を吐き出しながら泳がせます。息継ぎを許すのは、段落の切れ目です。
「段落が多めの文章」というのはゆっくり読んでほしい文章だから、吸って吐いて、吸って吐いての間隔が短い、平泳ぎのようなリズムで読ませます。読み手は比較的、自分のペースで読めることになります。
ではその吸って、吐いての切り替えとは一体どういう基準でおこなわせるのか。
比較的、段落が多めの部類に入るであろう、紫原明子さんの“文章呼吸”のリズムは実にお見事です。
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第一段落の「うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。」以下は、“現実を認める文章”として一気に読ませ(吸って)、途中の「まあできないことだってあるよな、」以下は、“希望に向かう文章”として一気に読ませます(吐いて)。
ふたつの文章がペアとなり、そこに「吸って〜文」と「吐いて〜文」というワンサイクルの呼吸があります。