学生時代の一時期、二歳下の妹と二人暮らしをしていたことがある。私の通う大学も、妹が通うことになった大学も、ともに首都圏とはいえ実家からは距離のある郊外型キャンパスだった。通学時間を短縮するために、それぞれの大学にアクセスのよい新宿近辺で物件を探し、代々木上原へ引っ越した。「兄弟姉妹入居限定」という不思議な条件で家賃が格安の新居は、5畳2間が振り分け型になった2K。二十歳そこそこ、親元を離れて暮らすのも初めてなら、自分一人で自由に使える、好きな音楽を好きな音量で流せる空間を持つのも初めてだった。実家での私たちは、成人後も一つきりの子供部屋で二十年物の二段ベッドの上下に寝起きしていたのだ。
その後、社会人になってから「代々木上原が懐かしいね、また女二人暮らしのルームシェアをしてみたいな……」とぼやいたことがある。「ハァ? 私、絶対イヤだ。二度とあんなことしたくない」と妹は冷たかった。「だってゴミ出しも掃除も洗濯も、分担って言いながらいつも私が余計にやってたじゃない。お姉ちゃん、ほっとくと布団も干さないんだから。それに、もうすぐ今の彼氏と結婚するんだから、無理」というのがその言い分だった。ぐぬぬぬ。いや待て、しかし妹よ、目先の愚痴にとらわれて話題の幅を狭めてはいまいか。姉妹でのルームシェア生活にもいいことはたくさんあったぞ。たとえば、ほら、料理とか。
二人暮らしのその部屋は、玄関を開けると沓脱のすぐ横にミニキッチンが備え付けてあった。電磁調理器と流し、ビジネスホテルのミニバーに似た小型冷蔵庫があり、ユニットバスの台所版といった風情だ。祖父母宅から古い炊飯器を譲り受け、近所のスーパーで調味料をゼロから揃え、食費を切り詰めるための自炊生活が始まった。母が切り盛りする実家の台所仕事を人並みに手伝ってきたつもりでいたし、家庭科の調理実習でもひどい失敗をした記憶はない。料理くらい、何とかなるだろう。そう思っていたのだが、母の指示から見よう見まねで憶えたレシピはどれも、育ち盛りの末弟を含む大食漢の一家五名分である。私たち姉妹が直面した最大の問題は、とにかく何でも作りすぎてしまうことだった。
煮物各種や味噌汁、焼きそばや炊き込み御飯のみならず、パンケーキやお好み焼きのタネ、洗って切るだけのサラダや果物に至るまで、一人で食べるものを作ろうとしても、出来上がるとなぜか三、四人前に増えており、用意した一名分の皿に盛りきれない。鍋物のあとに〆の雑炊をと思ったら、ほとんど炊き出し状態になってしまい、途方に暮れたこともある。何が「いいこと」かというと、こうして作りすぎてしまった料理を、いつでも必ず食べてくれる相手がいたことだ。
冷蔵庫が小さすぎて保存がきかないので、安い食材を買い込んで一気に作り、その日のうちに食べきることが大事だった。夜遅く帰ってきたほうが、早く帰ってきたほうの作りすぎた夕飯の残りを片付ける。お腹が満たされれば互いに味の文句は言わない。あまりにひどいときは、冷めきったおかずの鍋をあたためなおしながら具材を足したり、別の味に作り替えたりもした。煮詰まっていたら薄め、嵩を増やしたければもやしやキャベツや麺類を投入する。にっちもさっちもいかなくなったらカレーにすればよい。ちょっといいところを見せたい恋人相手などと違って、姉妹ならば気心が知れている。いくら失敗しても大丈夫、と思えば自炊の頻度も上がったし、実験精神にも火がついた。あんなふうに自由に、なんでもかんでも知らないレシピに挑戦しながら、料理の試行錯誤を重ねる日々は、もう訪れないように思う。