イラスト:澁谷玲子
時代遅れのおっさんが聴く音楽?
「アメリカ人ってほんとダッド好きだよね……」とつくづく思ったのは、「ダッド・ロック」という言葉をはじめて聞いたときのことだ。そこには「ダッド・ボッド」と同じく、「オヤジ」に対する親しみの情がこめられているように思う。
ダッド・ロックとは? そのまま直訳すればいい。父ちゃんロック、オヤジロック……要は「おっさんが聴いてそうなロック」のことである。基本的には60年代から70年代のベビーブーム世代に人気を博したロック・ミュージックを指すことが多く、ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ……といった、当時誰もが知っていたものが代表とされるようだ。あるいは、単純に中年男性によって演奏されるロック・ミュージックを指すこともある。
ただ、「ダッド」と言うからにはおっさん感が強めのものがイメージされやすいようで、ある世代にとっては懐かしの洋楽コンピレーション・シリーズ「NOW」のなかの、その名も『That's What I Call Dad Rock』(オレがダッド・ロックと呼ぶもの)ではボン・ジョヴィ、U2、モーターヘッド……と、いかにも男くさいというか、テストステロン強めのものが選ばれている。
おっさんたちがどんどん「イケてないもの」の代表になっているいま、「ダッド・ロック」という言葉は揶揄的なニュアンスで使われることも多い。つまり、流行りのヒップホップやR&Bについていけない、おっさんたちの慰みものとしてのロック。腹の出たおっさんたちがくたびれたTシャツを着て、ギターをかき鳴らしてそうな古臭い音楽。
ちなみにダッド・ロック界の最大のスターは一説によるとエリック・クラプトンだそうで、典型的な「男が憧れる男」というか、渋い中年男としての彼はロック好きおじさんにとって不動のもののようだ。日本でもクラプトンは男性の憧れの的で、車や缶コーヒーといった中年男性がおもなターゲットとなるCMではクラプトンが使われることが異様に多い。そう言えば(クラプトンが在籍したデレク&ザ・ドミノスによる)「いとしのレイラ」が使われた三菱自動車のCMに「はじめてのキスの相手は、まだ独身だった。」(ここで「タララララララ~ン♪」とあの有名なギターが鳴る)とのコピーでおっさんたちの心を濡らしたものが昔あったけれど、いまから思うと「ダ、ダッド・ロック……!」とのけぞらずにはいられない。
「いとしのレイラ」はもちろんロック史に残る名曲だけど、それをいまでも「男のロマン」的に聴いているおっさんたちには……まあ苦笑いですよね。(ここで、「いとしのレイラ」はビートルズのジョージ・ハリスンの当時の妻に捧げられた曲で……とウンチクを語りたくなったあなた。あなたは確実にダッド・ロックおじさんです。)
だけど、いまでも気がつけばおっさんによるロック・ミュージックを聴いているおっさん好きの僕からすると、いやいや、イケてるダッド・ロックもあるんだと叫びたくなるときがある。というか、いまこそダッド・ロックという言葉を肯定的に使いたいと思うのだ。
「ダンディズム」を引き受ける現代のロック・バンド
そんな僕がイケてるダッド・ロックとして推したいのが、アメリカはオハイオ出身のザ・ナショナルという5人組バンドである。オーケストラや電子音楽を繊細に織りこんだ音楽性や、歌詞に見られる優れた文学性などで高く評価されるバンドなのだが、ここではあくまでそのダッド・ロック性を取り上げたい。
ザ・ナショナルの魅力のかなりの部分を担っているのは、フロントマンの中年男マット・バーニンガーの存在である。まずは何よりもその、セクシーすぎる低い声だ。彼の書く歌詞は人生における後悔や失敗を綴るものが多く、つねに憂いを含んだ歌声はハードボイルドな世界観を立ち上げる。それだけでなく、ふさふさとした髭をたくわえ、スーツを着こなし、ライヴのときには赤ワインを飲みながらステージをウロウロする彼は「ダンディな男」の見本のようだ。
代表曲「Bloodbuzz Ohio」のMVではスーツを着て、公園にひとり佇んだり、バーのカウンターで口ずさんだり、鳥に餌をやったり(なぜ?)、画面の向こうからこちらを見つめたりするバーニンガーの姿がフィーチャーされているけれど、「何これ? 渋いおっさん好きのためのイメージ・ヴィデオ?」って感じである。僕はたぶん100回は観ましたよね……。
バーニンガー自身はそういう典型的な「男のダンディズム」をある種のパロディとして演じている部分もあるとは思うのだが、彼がやるといちいちキマってしまうのがニクい。ちなみにザ・ナショナルはバーニンガー以外のメンバーが2組の双子の兄弟という変わった構成なのだが、その5人並んだときの佇まいも、言ってしまえばとても男性的なものである。
ダッド王国のアメリカで、中年男性の色気全開のザ・ナショナルは当然ダッド・ロックと形容されることも多々ある。しかし書いてきたようにその言葉には現在複雑なニュアンスがあるから、それが良いことなのか悪いことなのかは使われる文脈にもよるのだけれど、彼ら自身はそう呼ばれることを受け容れていると語っている(※)。
それに、バーニンガー自身「よき父」のイメージを引き受けているようなところがある。あるロック雑誌には娘とのツー・ショットで表紙を飾ったこともあったし(※)、父であることをテーマにしている曲もある。夫としても、文芸誌の編集者である妻のカリン・ベッサーに芸術的なインスピレーションを受けていることをしばしば語っているし、多くの曲で彼女と歌詞を共作している。クリエイティヴなパートナーとしての関係を築いているのだ。
「男の世界」を多様なアイデンティティが共存する場所に
ただ、「ダッド」そのものが揺らいでいる現在、ザ・ナショナルはそうした「古き良き」男性像をさらに新しくしようと試みているようだ。これまで何だかんだ言って「男の世界」の空気を醸すことで人気を得てきた彼らは、最新アルバム『I AM EASY TO FIND』(2019年)で様々なアイデンティティを持つゲストを多数迎え入れ、とりわけ、たくさんの女性たちを大々的にフィーチャーしたのである。