隅田川沿いにそびえ立つ634メートルの鉄塔。SF映画に出てきそうな姿を持つ東京スカイツリーを眺めると、涙が出そうになる。
別にセンチメンタルな思い出があるわけではない。むしろその逆だ。
2008年に着工したスカイツリーは3年半の歳月をかけて世界で最も高い電波塔になった。竹のように伸びゆく姿は、それまでにも視界に入っていたのだろうが、その異様な存在感に気がついたのは竣工間近。要するに興味がなかったのだ。
スカイツリーは、歓迎されない存在だった。
歓迎されないスカイツリー
学生の頃、履修していた講義の一環でスカイツリーの建設現場付近に同級生と共に足を運んだことがある。
「路地」には何があるのか?
路地は家が立ち並び、生活が入り組む中で生まれる有機的な道だ。細やかな都市計画によって失われつつあるが、現存する路地には一体どんな光景が広がるのか──。この問の答えを見つけるため、下町エリアである隅田川沿いを選んで散策することにした。
個人経営の商店の間、笑い声が小さく聞こえる中、猫が歩く先には再開発のビルが見える。ノスタルジックであり、新しさもある。何が残り、何が変わるのか。好奇心を刺激されながら電車を降りた。
結論から言うと、私が想像した路地はそもそも存在していなかった。
閑散としていたのだ。定休日なのだろうか、シャッターが閉まり切った店もいくつかあった。道行く人はスーパーで買い物を済ませ、会話もない。いかにも下町らしいコッペパン屋に行くと「お釣りは用意してないから、ぴったり払えないと売れないよ」と言われた。パンが並んだ店内で500円玉を手に乗せたまま呆然としたのを覚えている。
人情に厚い雰囲気のある場所。歓迎してもらえるのではないかという慢心は現実を前に砕け散った。テレビで見てきた下町とは全く違う。
商店街で「スカイツリー、どう思いますか?」と何人かに話を聞くと、曇り空のような解答が多かった。
「新しい人たちがはいってくるけれど、どんな人かわからないでしょ」
「下町の雰囲気が壊れるのは嫌なのよね」
「スカイツリーができたとしても、新しいお店ができて儲かって、こちらは冷え切ったまま」
「お客さんがとられてしまう。搾取されるだけ」
背の低い家屋が並ぶ商店街の裏には、新しく建ったマンションがいくつか見える。再開発の萌芽をわずかに感じたものの、無機質なデザインは街に似合わず居心地が悪そうだった。
私が見聞きしたのはほんの一部に過ぎないが、スカイツリーの建設は、好意的に受け入れられてなかったように見えた。
東京タワーはセクシーなのにスカイツリーはダサい
2010年代の序盤、20代の私にはスカイツリーがしっくりこなかった。
スカイツリーはテレビ局の地デジ対応のために計画され、東武鉄道によって押上の地に誘致されたという。いくつかの候補地から選ばれたものの、地域住民にとってはほとんど寝耳に水のような計画だったと聞く。
中小企業や寺社がぎゅっとつまった町並みに、巨大な鉄塔が建設されることになる。
雪が積もったらどうするのか? 日照の妨げにならないのか? 地震が起きたら?
規格外に高い建物が生活の中に組み込まれることは、近隣住民にとってリスクを背負うことを意味する。景観を無視したかのような近代的すぎるデザインも少なからず波紋を呼んだ。
634メートルという高さは「武蔵」の当て字に由来し、電波塔として世界最高を目指したものだという。この数字には、技術力の誇示や広告コピーのような力が宿っていたのだ。この背景は、人類が自分たちの技術力を示して神に到達しようと企てたバベルの塔を彷彿とさせる。
スカイツリーは東京の空に似合ってなかった。というか、東京タワーが存在として大きすぎたのだ。
「東京タワーはセクシーだけど、スカイツリーってダサいよね」
そういう話を友人とよくした。
2000年代には映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の大ヒットもあり、私たちは東京タワーが戦後復興のシンボルとなったことを知っていた。岡崎京子、江國香織やリリー・フランキーの作品はもちろん、数多くの物語に東京の象徴として描かれてきた赤い鉄塔は、心の拠り所のような存在感があった。
加えて非日常的な特別感のある場所でもあった。
曲線的なフォルムは女性的。夕陽に映えて美しく、見る者を虜にする。艶っぽい東京タワーに登り、250メートル超の高さから街を見下ろすと、六本木や銀座など一等地がキラキラと輝き、宝石箱を眺めている気分になる。ドラマチックな夜景は、すべての言葉を5割増しくらいに彩る力があった。
一方でスカイツリーはどうか。直線的で近未来的すぎる外見にはセクシーさは全くない。宇宙から投げ込まれ、東京に突き刺った槍のようだ。テレビ局や鉄道会社、都という登場人物たちは「どうせお上が勝手に」というイメージを強くさせ、さらに気持ちを萎えさせた。
スカイツリーから見る夜景は、東京タワーのそれとは比べ物にならないくらい地味だった。全体的に暗く、小さな灯りがぽつりぽつりと散らばる。遠くにかろうじて北千住の光が見えたが、興ざめしたのを覚えている。
予想しなかった光景
私が20代を過ごしているうちに、東京の東側は急速に光景が変わっていった。初めて変化に気がついたのは、秋葉原で働いていた時だった。ほんの少し前まで「外国人排斥」のデモが行われていた場所が、海外からの観光客で溢れている。昼食を食べに会社を出ると、自分がどの国にいるのかわからないほど多国籍な風景になっていた。そういえば、2015年には「爆買い」が流行語大賞に選ばたらしい。
同時期、LGBTQがメディア業界のトレンドワードになり、働き方改革も流行語になった。メディア業界の片隅で、私も新しい潮流に乗るべく取材を重ねていくうちに、世間の価値観が新しいものに変わっていくのを肌で感じていた。ずっと昔「24時間戦えますか。」というキャッチコピーが話題になったが、そんな時代は過ぎ去りしものになりつつあった。