五十近くなって、初めての結婚だった。それまで、真剣に結婚を考えたことはなかった。
「どうして結婚しないんですか? モテるでしょうに」
「独身主義とか?」
いやになるほどされた質問だ。結婚の必要を感じないし、意味がわからない、というのが本心だった。女性との関わりは恋愛でじゅうぶん、それ以上を求められて自由がなくなるなんて考えられない。そんなことをいって、無駄に嫌味なやつだとか変人だとか思われたくはない。いわれる度に、
「なかなか理想の女性にめぐり合えなくて」
と答えた。
子供は好きでもきらいでもなかった。正確にいえば、興味がない。年に一度か二度、実家で妹の息子に接する機会がある。おもちゃを買ってやったり、お年玉をあげたり、一応伯父としてやるべきことはこなしている。世の中のルールや垢とは無縁の生き物は最初のうちは新鮮でかわいい。でも、二時間が限度だ。泣く、わめく、走り回る、突然笑う。とにかくうるさい。
こんなのが一日中家の中にいるなんて、たまったもんじゃない。そういう自分の考えは、歳をとったら変わるのだろうか。それなら、その時に対処すればいいと思っていた。
雲江は建築士だ。主に一軒家の設計やリフォームを手掛ける事務所に所属している。若い頃は、大掛かりなコンペに競り勝って、街のランドマークになる大きなビルを建てることへの憧れもあった。目の前の注文に熱中しているうちに、あいまいな野望はいつの間にか消えていた。
社会に出た頃、時代はバブルと呼ばれる超好景気に入っていた。個人宅でも、桁外れな予算で前衛的な発注をしてくるクライアントがたくさんいた。建築士としてのスタートとバブル時代が重なったことは幸運だったと思っている。
当時、コンクリートの打ちっぱなしが流行り始めた。雲江も、いくつものクライアントからそれを発注された。中でも麻布に建てた二百坪の家は記憶に残っている。不動産会社の経営者の自宅だった。
コンクリートの打ちっぱなしの他にも、いろいろと特別な注文があった。玄関の正面に大きな水槽を造り、四十畳のリビングは三階までの吹き抜け、風呂場も脱衣場も床暖房完備で、宅内には小さなエレベーターもあった。家具はイタリアから取り寄せたはずだ。
担当者だった先輩建築士に連れられて、新築祝いのパーティーに行った。個人宅だというのに黒服を着込んだウエイターたちがおり、彼らの手には銀色のトレイがあった。そこにはシャンパンやワイン、気の利いたつまみが載せられ、客たちは慣れた様子でそれらに手を伸ばす。タレントやモデルがたくさんいて、彼女たちはみんな、自分の美しさや若さを見せつけるためにはしゃいでいた。
モデルの一人が雲江に声をかけてきた。一本いいですかぁ? とかなんとか。あの頃はお酒の席での煙草はつまみのひとつみたいなものだった。雲江は、友達からバリ島旅行の土産にもらったガラムという両切りの煙草を差し出した。箱から出したとたん、辺りに甘い香りがまき散らされた。
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