野次の演出
「第41回国会衆議院オリンピック東京大会準備促進特別委員会」。
『いだてん』でこういういかめしいテロップが出るときは要注意だ。取材担当の渡辺直樹はじめ取材チームは、最近のインタビューでも明らかな通り、関係者への聞き取り、日記の翻刻、そして歴史的文書の読み込みなど、歴史家顔負けの徹底ぶりで資料の掘り起こしを行っている。この「特別委員会」も、ただの絵空事ではないはずだ。
そう思って、国会の会議録を調べてみると、あったあった。実は衆議院の議事録は、第1回から現在の144回までオンラインで読むことができて、ドラマに描かれた特別委員会の記録も、ちゃんと残っている。実は参議院でも同じような会議があったので、田畑の出席した会議は二日間、計6時間弱にわたる。台詞の多くは、これらの会議録から拾われたことがわかる。
しかし、実は、議事録にほとんど記されていないものがある。野次だ。ドラマは、長い会議がどのような「茶番」のもとに進んでいるかを短い時間で知らせるために、野次を効果的に使っている。
最初は川島大臣に対する質問と答弁なのだが、それらがあらかじめ想定された形式的なものであることを示すように、他の委員たちはおとなしい。質問者が最後に「政府としてはしっかり協力助成をしていただきたい」と締めくくると、「そうだ」と声が飛び、拍手が起こる。一方、田畑政治に対して一人の議員が厳しい調子で質問し始めると、さっそくあちこちから野次が出る。「あなたの発言が、いかにもひどすぎるのです」「そうだよ!」「そうそう」。委員長が「静粛に」と言うことで、逆に野次が騒然としていることが強調される。「それに関しては、わたしの発言の仕方に問題が…」田畑が答弁しかけると「何が発言の仕方だ」「発言の仕方じゃないだろう」とすかさず声が飛ぶ。
実は、これらの野次に近い言葉は、議事録の発言に記されている。たとえば、元水球選手で、田畑の後輩にあたる阪上安太郎委員は、「僕の先輩である田畑さんつらく当たるのはどうかと思いますが」と前置きしてから次のように述べている。「先ほど田畑さんは、ただ単に、これは私の発表の仕方がまずかったというようなことを言っておられるが、そんなことは仕方も何もないでしょう。あれだけはっきり言っておられるのだから。仕方の問題じゃないですよ。あなたの頭の中の考え方の問題なんです」。
脚本と演出は、実際の発言の一部を野次に振り分けることで、議事がいかに田畑に不利な調子で進んでいるかを視聴者にはっきり分かるようにしているのだ。委員会室に、マイクはない。質問も答弁も野次も、会議室の中で同じ大きさで反響する。野次は、あたかも質問や答弁の一部を為すがごとく響き、現在の国会における野次よりもずっと存在感を持つ。このような音響特性も、うまく用いられている。
おかしい、何かがおかしい。議長の声が遠くなり、田畑の声は会議室から遊離して心の声となる。頭の中の考えはどうなっている? 東京招致決定、ベルリン、マニラ、学徒動員、東京招致断念、ロサンゼルス、ヒトラー、ロサンゼルス、組織委員会…どこで間違えたんだ? 俺の、俺のオリンピック…。頭の中は、時代も場所も、まるでぶちまけられた書類を拾い上げるようにばらばらだ。川島が言う。「今後は東京オリンピックを国家事業ととらえ、金も出し口を出す所存です」。遠い昔、田畑のことばに表情を崩した高橋是清の快活な笑い声が響く。あ…、田畑は心の中で気づいてから、口に出して言う「あんときだ」。田畑が是清に言う「金も出して」。川島が言う「金を出し」。田畑が向き直って言う「口も出したらいかがですか」。川島が向き直って言う「時には口も出して」。田畑の得意げな顔と川島の得意げな顔が同じアングルで重なる。蛇蝎のように嫌ってきた川島は、じつはかつての田畑の似姿なのではないか。
では、いま、田畑はどうすべきか。
岩ちんでも岩田くんでもなく
その後に行われた懇談会もまた、これまでの組織委員会が持っていた垂直水平ぐっちゃぐちゃに混ざり合う雰囲気とはまるで違っている。組織委員は平席に配置される一方、政府委員の席は一段高いひな壇上にあり、格の違いを見せつけるべく白い布で覆われている。津島と田畑に退席を命じるのは平席にいる東龍太郎の役目。一方、ひな壇にいる川島は無言で立っている役員に合図を送り、田畑を力づくで外に連れ出させる。
台詞では、名前の呼び方によって関係の変化が表されている。
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