三
文久元年二月、長崎にいる大隈の許に、母の三井子から「縁談が調ったので至急国元に帰るように」という一報が届く。
多忙を理由に断ろうとしたが、遅れて長崎にやってきた副島が、新たな仕事を拝命すべく、いったん戻るようにと言う。
それで戻った大隈は縁談の相手と会ってみたが、なかなかの美人の上、家柄も釣り合っていた。考えてみれば大隈も二十四歳だ。断る理由もないので、この縁談を進めてもらうことにした。
この時の縁談の相手が、江副美登という大隈の最初の妻になる女性だった。美登は文久三年(一八六三)に唯一の子の熊子を生むが、この熊子が大隈の晩年を支えることになる。
またこの時、大隈は正式に藩から英学伝習生に任命され、長崎に駐在する許しを得た。これにより長崎にいる大義名分を得たことになる。
大隈は英語を学ぶかたわら、藩の「代品方」という諸外国との取引を担う部門を支援する役割も課された。
長崎に赴任する直前、大隈は藩主の鍋島直正あらため閑叟に「御前講義」をするという栄誉も得た。
これは蘭学寮を閑叟が視察した折に行われたもので、大隈は「オランダ王室における摂政についての憲法の規定」という題名の講義をした。ちょうど閑叟たち賢侯は、今後、政体が変わった際、天皇の摂政についてどうするかに関心が高まっていた時期でもあり、時宜を得たものになった。このあたりの大隈は抜かりがない。
講義が終わった時、閑叟は「はなはだ善かりき」という感想を側近に漏らしたという。
これにより大隈は、佐賀藩のエリートとして認知されたことになる。
「そうか。藤花っていう源氏名なのかい」
丸山の喧騒が障子越しに聞こえる中、大隈が問うた。
「そうだよ。あん時、あんたは消えちまったから、どうしたのかと思ったさ。それでもこうして、また来てくれたからうれしいよ」
大隈は「引田屋」に再び登楼し、あの時、誘ってくれた女郎を買った。岩崎の部屋に行き、自分の部屋に戻ってこなかったお詫びをしたかったからだ。
「でも、こうして来ただろう」
「あんたは義理堅いんだね」
「それしか取り柄はないからな」
腹這いになった大隈は、西洋商人の店で買ったばかりの延べ煙管に細刻みを詰めた。それまで使っていた竹製の羅宇煙管よりも手触りがいい。早速、吸ってみると、同じ煙草でも味がいい気がする。
「確かあんた、佐賀藩士だったね」
「そうだよ」
「やはり仕事は交易かい」
「そんなもんだ」
大隈が紫煙を吐き出す。自分の仕事の話を女にするのも億劫だったが、とくに秘密でもない上、女は事情通のようなので話してみることにした。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。