青年は思わず椅子から立ち上がり、目の前の哲人を睨みつけた。この不幸なる生は、わたしが自発的に選んだものだと? それがわたしにとっての「善」だっただと? なんという暴論だろうか! そもそもなぜ、ここまでわたしを愚弄するのか。わたしがいったいなにをしたというのだ。是が非でも論破してやる。わが足元に跪かせてやる。青年の顔はみるみる紅潮していった。
性格とライフスタイル
哲人 おかけなさい。このままでは話が噛み合わないのも無理はありません。ここで簡単に、議論のベースとなる部分、つまりアドラー心理学が人間をどのように理解しているかについて説明しておきましょう。
青年 手短に! 手短にお願いします!
哲人 先ほどあなたは「人の性格や気質は変えられない」といいました。一方、アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。
青年 ライフスタイル?
哲人 ええ。人生における、思考や行動の傾向です。
青年 思考や行動の、傾向?
哲人 その人が「世界」をどう見ているか。また「自分」のことをどう見ているか。これらの「意味づけのあり方」を集約させた概念が、ライフスタイルなのだと考えてください。狭義的には性格とすることもできますし、もっと広く、その人の世界観や人生観まで含んだ言葉になります。
青年 世界観とは?
哲人 たとえば「わたしは悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人がいたとしましょう。その言葉を「わたしは悲観的な〝世界観〟を持っている」と言い換えてみる。問題は自分の性格ではなく、自分の持っている世界観なのだと。性格という言葉には、変えられないものだというニュアンスがあるかもしれません。しかし、世界観であれば変容させていくことも可能でしょう。
青年 ううむ、少しむずかしいな。そのライフスタイルとは、つまり「生き方」に近い話なのでしょうか?
哲人 そういう表現もありえるでしょう。「人生のあり方」という意味ですね。きっとあなたは、気質や性格は自分の意思とは無関係に備わるものと考えておられたはずです。しかしアドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選びとるものだと考えます。
青年 自ら選びとるもの?
哲人 ええ。あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです。
青年 つまり、わたしは「不幸であること」を選んだばかりでなく、このひねくれた性格までも自らの手で選んだのだと?
哲人 もちろんです。
青年 ははっ、いくらなんでもその議論には無理がありますよ。わたしは気がついたときには、こんな性格になっていました。選んだ覚えなど、まったくありません。先生だってそうでしょう? 自分の性格を自由自在に選択できるだなんて、それこそロボットみたいな話じゃありませんか!
哲人 もちろん、意識的に「こんなわたし」を選んだわけではないでしょう。最初の選択は無意識だったかもしれません。しかも、その選択にあたっては、あなたが再三おっしゃるような外的要因、すなわち人種や国籍、文化、また家庭環境といったものも大いに影響しています。それでもなお、「こんなわたし」を選んだのはあなたなのです。
青年 意味がわからない。いったい、どこで選んだというのです?
哲人 およそ10歳前後だというのが、アドラー心理学の見解です。
青年 じゃあ百歩譲って、いや二百歩譲って、10歳のわたしが無意識ながらもそのライフスタイルとやらを自分で選んだのだとしましょう。けれど、いったいそれがどうしたというのです? 言葉が性格であれ、気質であれ、あるいはライフスタイルであれ、わたしはすでに「こんなわたし」になってしまったのです。事態はなにも変わらないじゃありませんか。
哲人 そんなことはありません。もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことも可能なはずです。
青年 選びなおす?
哲人 あなたはこれまで自らのライフスタイルを知らなかったかもしれない。そしてライフスタイルという概念さえ、知らなかったかもしれない。もちろん、自らの生まれを選ぶことは誰にもできません。この国に生まれること、この時代に生まれること、この両親のもとに生まれること、すべて自分で選んだものではない。しかもそれらは、かなり大きな影響力を持っている。不満もあるでしょうし、他者を見て「あんな境遇に生まれたかった」と思う気持ちも出てくるでしょう。
でも、そこで終わってはいけないのです。問題は過去ではなく、現在の「ここ」にあります。いま、ここでライフスタイルを知ってしまった以上、この先どうするのかはあなたの責任なのです。これまでどおりのライフスタイルを選び続けることも、新しいライフスタイルを選びなおすことも、すべてはあなたの一存にかかっています。
青年 では、どうやって選びなおせというのです? 「お前はそのライフスタイルを自分で選んだのだから、いますぐ選びなおせ」といわれたところで、即座に変われるわけではないでしょう!
哲人 いえ、あなたは変われないのではありません。人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。
青年 なんですって?
哲人 人は常に自らのライフスタイルを選択しています。いま、こうして膝を突き合わせて話しているこの瞬間にも、選択しています。あなたはご自分のことを、不幸な人間だとおっしゃる。いますぐ変わりたいとおっしゃる。別人に生まれ変わりたいとさえ、訴えている。にもかかわらず変われないでいるのは、なぜなのか? それはあなたがご自分のライフスタイルを変えないでおこうと、不断の決心をしているからなのです。
青年 いやいや、まったく筋の通らない話じゃありませんか。わたしは変わりたい。これは嘘偽りのない本心です。なのにどうして変わらない決心をするのです!?
哲人 少しくらい不便で不自由なところがあっても、いまのライフスタイルのほうが使いやすく、そのまま変えずにいるほうが楽だと思っているのでしょう。
もしも「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起こるのか、経験から推測できます。いわば、乗り慣れた車を運転しているような状態です。多少のガタがきていても、織り込み済みで乗りこなすことができるわけです。
一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。未来が見通しづらくなるし、不安だらけの生を送ることになる。もっと苦しく、もっと不幸な生が待っているのかもしれない。つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが安心なのです。
青年 変わりたいけど、変わるのが怖ろしいと?
哲人 ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな〝勇気〟を試されます。変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう。
青年 ……いま、また〝勇気〟という言葉を使われましたね。
哲人 ええ。アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ〝勇気〟が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。
幸せになる勇気はあるか
青年 幸せになる勇気……。