人の体験も自分事として胸に刻む
役に立つのは自分の体験だけではありません。人が苦しんでいたり、人が何かで困っているのを見たら、それも拾っておきましょう。
テレビでも、映画でも、ドラマでもいいし、たまたま自分が見聞きした他人の言葉でもいいです。そういう人の痛みや失敗をいっぱいネタとして持っておくということは、他者理解や、社会貢献のためにすごく役に立つのです。
「これは聞いた話ですが、こういう方がいらっしゃいまして」と言えれば、同じような状況にある人にヒントを提供することもできるのです。
ある自衛官で、自分の身内がある痛ましい事件の犠牲になってしまった人がいました。その人はその直後に、東日本大震災の救助のために、最前線で指揮をとらなければならない立場になりました。
支援者支援のときに出会った人ですが、私は事件のことも知っていたので、それにはふれないように、よけいなことを言わないようにしていたのですが、あるときその人が「つらい」という言葉を口にしました。
その人と奥さんは犯人が極刑になることを望んでいたのですが、犯人への怒りや憎しみでつらいのではなく、「今、生きている人を『殺してほしい』と言うことがつらい」というのです。
大震災の現場で惨状を目の当たりにし、これ以上の犠牲を出さないために必死で活動しながら、一方で人の死を望んでいることの苦しさ、それを人に言えないでいたことの苦しさ。その感覚は、奥さんが抱えるものとも少し違います。その人はとても立派な自衛隊の幹部で、その職業ゆえに弱音が吐けなかったというのもあります。
「そこがつらかった」と言える彼は、すごいなと思ったのです。
だいたいの人は、「ぼくは大丈夫です」と言うものですが、その人は、「自分のことで時間を取ってもらって申し訳ないですけど、ひと言、言わせてください」と、つらい思いを自分から告白しました。
自分の弱さと向き合っているからこそ本音が言えるし、凜りんとしていられるのだと思いました。
人がそうやって苦しみを乗り越えていく姿から、学ばない手はないと思います。そこに苦しむ人がいるとき、周囲にいる人にも成長のチャンスが与えられているのです。
人生で大切なこと、どうでもいいことがわかる
人生で何が大切か、何がどうでもいいのか。
それがわかるかどうかは、「死」とどう向き合うかで決まります。
生きるか死ぬかの命軸で考えてみると、それ以外は、ほとんどどうでもいいことです。なのに、人は何かあるとすぐにグズグズ考えてしまうのです。
最近、傷が化膿して40度を超える熱が出て入院したのですが、入院中は体温の上下が激しくて、毎日ガタガタ震えては汗びっしょりになる連続でした。そうこうしていると、36度8分の熱でもドキドキしている自分に気づきます。
「弱いな、小さいな。生きるとか死ぬとかの話じゃないのに、私、小さいことでビクビクしているなあ」
多くの人は、対人関係や仕事の出来具合などでウジウジ考えていますが、どれも命を取られることではないですよね。誰かに殺されるわけでもないし、餓死するわけでもありません。
うつで落ち込むと、生きるか死ぬかしか考えられなくなります。自分にとって死ぬことだけが正しくて、どうやってそこへ逃げ込むかをずっと考えてしまうのです。
でも、人はなかなか死ねません。何回も試みても、うまく自殺できる人は少ないのです。自殺に失敗して身体の自由がきかなくなり、死ぬこともできない。そういうつらさもあるのです。
どう逃げようか考えるより、その時間を使って自分と向き合うほうがいいのではないでしょうか。死にたい気持ちがあっても死ねないということは、死ねないということなのです。だから、そういう自分と向き合えばいいのです。
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