人は一人一人違う。違うからこそおもろいんやでーと言いたいところだが、なかなかね。
脳性まひという脱ぐに脱げない着ぐるみは、あちこち、ほころびが出る。遅まきながら痛くない体作りをしようと「健常者の体」に興味津々。知人と焼肉屋さんに行った時も店員さんをじっと見ていたようで、「ガン見しないよ!」と言われる。
「いやー三つもコップを持ってテーブル拭くって凄技じゃん。私はものを持ったら動けないからさ」
「そこは学ばなきゃね。福本さん布団と共に転倒したんだし……」
あっはははと笑いながら肉を焼き、食べよいサイズに切ってくれる。
「首振らないよ。ワイルドな食べ方はいらない。それじゃ首も手も肩も痛いはずだ」
「だって……」
「だってなに? 脳性まひなんだもんっですか?」
彼は、着ぐるみなんて脱ごうと思えば脱げる! と、ともすれば言いかねない。
医療人としていろいろな患者さんと関わってきた彼の言葉を真に受けて、朝起きたら〇脳印の着ぐるみが転がっていたら?
やばいやばい。それは私の死体! まあいつか屍になるんだけどさ。
それまでは口が開く時ぐらい食べたいものを食べようかねぇ。ぼーっとこんなことを考えていると「早く食べて。肉冷めますよ」と促され、「ううん」とうなずくと「なに。う、ウンチ?」とくる。がははははー。
五十歳からの社会人デビューで知ったこと。みんな、がはははと心の底から笑える相手にばかり出会っているわけではないこと。相手を理解しようとか相手に理解してほしいとか思っても叶わぬ時もあること。そして誰もがそんな中で歯を食いしばり生きているっていうこと。
みんな、多かれ少なかれ、生きる「しんどさ」を抱えてるんよね。
「お年寄りに席を譲ってあげないあの人だって内部疾患抱えてるかもしれないし」と帰りの電車の中でも想像する。
「ほらまた、ガン見」と小声が飛ぶ。いいの! いつも理解不能な存在としてじろーと見られてんだもの。時おり、「きもー」の声援までいただいちゃうんだから。健常者(っぽい人)をガン見するのもたまにはあり。
それにしても、人間って自分以外の人を理解するには、多くの想像とたくさんの経験と数知れない会話が必要だ。「百聞は一見にしかず」という言葉も人間、特に障害者には当てはまらない。
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