異性愛か同性愛かは「パンとごはん、どっちが好き?」と同じ感覚
溝口彰子(以下、溝口) 紗久楽さわさんの『百と卍』のすごさのひとつは、江戸時代の陰間文化や、男色全体についての歴史的な知識をしっかりとふまえた上で、BLとして物語を紡いでいる点だと思います。ところで私、初めて「男色」だけではなく「女色」という言葉もあると知ったとき、男色は男性同性愛だから、女色は女性の同性愛かな?と思ったんですが、全然違うんですよね。
紗久楽さわ(以下、紗久楽) 女色は、男性と女性の色恋を指すんですよね。「恋愛ではなくて色恋」というところも重要です。
溝口 両方とも主体は男性で、相手が男だと「男色」、相手が女性だと「女色」ですね。
紗久楽 近代より前は、女性同士の関係性にはそんなに名前がないんですよね。「貝合わせ」とか「といちはいち」くらいで。
雲田はるこ(以下、雲田) え、ないんですか!
紗久楽 近代以降には、レズビアンのタチ側は「男女(おめ)さん」と呼ばれていたようです。
溝口 今後、一次資料の調査・研究が進めば、出てくる可能性もゼロではありませんが。さらに、江戸期の男性にとって「男色と女色のどちらが好きか」というのは、今でいうと「パンが好きかごはんが好きか」くらいの感じで、現代の「同性愛者か異性愛者か」というアイデンティティに関わる問いとは全く違うんです。「男色と女色、どちらがいいか」を論争したり比較しているような大衆向け読み物も残っています。
紗久楽 ひとくちに江戸時代といっても、265年も続いたんですよね。そして、最近元号が令和に変わりましたが、江戸時代が終わってから、実はまだ150年くらいしか経っていないんです。だから、その265年もある江戸時代のなかでも、男色が流行った時期、流行らない時期がありました。
戦国時代の気風が残っている江戸初期とその文化を残そうとしていた中期には、男性同士の恋愛が文化的にもすごく残っていて隆盛なんですが、それ以降は不思議なことに流行らなくなった。それから遊郭を舞台にした“洒落本”など、男女の色恋が文学上でもメインで多くなっていったという感じなので、個人のセクシュアリティに関することなのに、文化全体としてそうなっていったというところが不思議ですね。
溝口 そうですよね。そして、ならば現代のゲイの人が江戸前期にタイムスリップしたら、すごく自由で「ヒャッホー!」となるかというと、そうもいかないわけです。身分制度も厳しかったりと、誰もが男色を楽しめたわけではない。
紗久楽 江戸後期はとくにそうですね。そういう行為や文化が“普通である”界隈や時期に入り込まないといけないから——具体的には、お寺や武家、商家、売春関係などの閉鎖された空間ですね。男色が盛んなところに行くか、出家するか、でしょうか。
溝口 井原西鶴の『好色一代男』を見ると、主人公の世之介は「生涯に3742人の女性、725人の少年と性的関係を持った」と書いてあるのですが、みんながそういうふうにできていたわけではないんですよね。それから、『百と卍』の百(もも)は元陰間ということですが、陰間は仕事としてやっているので、「男色か女色か」の選択肢はないわけですよね。
紗久楽 「そういうお仕事なので、男色行為をします」という感じです。彼はもともと兄が好きだったという人ではありますけど。性的指向として同性を愛する人々はもちろんいたと思いますが、江戸期では「描かれない」同性同士の関係性があったわけなので、誰もが「男色」「衆道」のなかに含まれていたかどうかは、まだ私には断言できません。でもそこが「BL」で描くべきところなのかも、また「BLとして」描きたいところだな、とも思います。
『新選組!』から勘三郎へ、気づけば江戸の奥深く
溝口 『好色一代男』や同じ西鶴の『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』が書かれたのは1680年代で、まだ陰間文化が最盛期の頃です。それに対して『百と卍』の舞台は文政(1818~1831)末期の1830年で、1巻のあとがきには、その時代は陰間文化が流行らなくなっていたと書いてある。「そんなに細かく時代考証してるんだ!」と驚いた方も多いのではと思います。
こんなふうに、紗久楽さんは江戸にすごく詳しくて、学校では習わないようなことまでご存知ですが、いつどういうきっかけで江戸が好きになって、どんなふうに勉強されたのですか?
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