小学校低学年くらいの頃、毎晩眠るときに布団に入って天井の木目を見上げながら、「死にたくない、死にたくない、どうか不老不死にさせてください。あとついでに未来から突然ドラえもんがやってきていろんなひみつ道具を使わせてください」と何かに対して祈っていた。 子どもの頃にあまり楽しいことがなかったせいか、覚えている記憶がそんなにないのだけど、とても死ぬのが怖かったのだけはよく覚えている。自分という存在がいつか消えてしまうということが怖かったし、信じられなかった。不老不死で全知全能の存在になりたかった。いや、なりたかったというより、そうでないことが受け入れがたかった。
その頃、もうひとつよく考えていたのは「この世界は全部作り物なんじゃないか」ということだ。どういうことかというと、この世界は全部どっきりカメラのセットのようなもので、この世界が本当だと思って生きているのは自分一人で、自分以外の人間は自分を騙すために役割を演じているだけで、自分の見ていないところではみんな役割を演じるのをやめて休憩したり、どこかに仕掛けられているカメラで僕のことを監視しながら「あいつうまく騙されてやがるな」とか喋ってるのだ、という妄想だ。
今はその妄想が何を意味していたのかが分かる。そんな風に思ってしまうのは「この世界は自分だけのためのものではなく、自分以外の人間も自分と同じように意識を持っている。自分はたくさんいる人間の中の一人にすぎない」ということをうまく受け入れられなかったからだ。
幸いなことに成長するにつれてこの世界の仕組みにも少しずつ慣れていき、そうした妄想に取りつかれることも少なくなった。渋々とだったかもしれないが、この世界で自分は特権的な存在ではなく、自分以外の人間も意識を持っていてそれぞれの人生では主観的にはそれぞれが主役であるらしいということを、受け入れていった。
それは同時に、自分が全知全能になれないことも否応なく知らされることでもあった。小さい頃から図書館に行くのが好きだったんだけど、図書館の本をいくら読んでも読んでもまだ読んでない本は際限なくあって、一生かかってもこの世に存在する全ての本を読むことができないことに嫌でも気付かされた。
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