日本では「夫婦別姓」を求める声が強くなっている。特に、結婚すると姓を変えるのがふつうになっている女性側からのようだ。
夫婦別姓を求める人の主な理由は次のようなものだ。
1.パスポート、運転免許証、銀行口座、クレジットカード、医療従事者の免許など、姓の変更により、数多くの面倒な変更手続きをしなければならない。
2.研究者の場合には、結婚前の論文と著者名が変わってしまうので、せっかくの実績を継続しにくい。
3.社外での人脈を積み上げているのに、姓が変わることによってアイデンティティの混乱が生じる。
4.名前は自己のアイデンティティのひとつなので、愛着がある。
5.こういった面倒なことを、女性だけがやらねばならないのは不公平だ。
いっぽうの反対派の意見をインターネットで探すと、具体的で根拠がある問題というよりも、「日本の伝統文化がなくなる」とか「同じ苗字でないと、家族としての絆が薄くなる」といった漠然とした不安が多いようだ。なかには「夫婦別姓にすると離婚しやすくなる」とか「子供がいじめられてかわいそう」というものもある。もっとも納得できるのは、「子供の名前をどうするのか?」という疑問だ。
夫婦同姓の伝統を変えていったアメリカのフェミニストたち
自由そうなアメリカでも、世界の英語圏の国々がそうだったように、かつては結婚したら妻が夫の姓に変えるのが伝統だった。それを、歴代のフェミニストたちが200年近くかけてじわじわと変えてきたのだ。
アメリカでの夫婦別姓のパイオニアは、1818年生まれのルーシー・ストーンという女性らしい。ストーンは、この時代の女性には珍しく大卒で、奴隷解放運動や女性の参政権運動で活躍した。フェミニストで女性参政権運動支援者のヘンリー・ブラックウェルと1855年に結婚し、夫と話し合って結婚前の姓をそのまま保った。
「フェミニズム」や「フェミニスト」は全世界でよく攻撃や揶揄の対象になっているが、じつは、現在の私たちが「当たり前のこと」と受け止めていることは、過去に勇敢に戦ってくれたフェミニストのおかげであることが多い。
アメリカの第1世代のフェミニストは、ストーンのように19世紀末から20世紀はじめにかけて「女性の参政権運動」で戦った人たちだ。投獄を覚悟で戦った女性たちのおかげで、女性の私たちは現在のように選挙権を得ることができたのである。彼女たちは、女性の権利のためだけでなく、ストーンのように奴隷解放運動のためにも戦ったのだが、現在それを知る人は少ない。
そして、第2世代のフェミニズムは、中絶の合法化や、社会的な男女平等を憲法のレベルで求める運動で、黒人の公民権運動と反戦運動が高まった1960年代に起こった。
最近読んだレベッカ・ソルニットの本で私も初めて知ったのだが、現在アメリカで行われている非暴力的で組織が開かれた市民的不服従運動のお手本になるモデルを作ったのが、1970年代に盛んになった反核運動で非暴力的な抵抗運動を組織化したフェミニストたちだったというのだ。
アメリカでは1970年代に初婚女性の17%が夫婦別姓を選んだというのだが、それにはこのような社会的背景があったのだ。とはいえ、その時でもまだ州によっては投票のときに妻は夫の姓を使わなければならなかったらしい。
第2世代のフェミニズムを若い頃に体験した高学歴のアメリカ人女性は、フランスの女性哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」という言葉のとおり「女も努力さえすれば、男と同じことができるはず」と信じて育った。
アメリカでの私の友人や知人にはこのタイプが多く、夫婦別姓がかなりの割合でいる。その1990年あたりには夫婦別姓の割合は18%程度だったらしいが、私が仲良くしているカップルには別姓のほうが多いくらいだ。大半の子供は父親の姓を名乗っているが、父と母両方の姓をハイフンでつなげたものを使っている場合もある。
私が娘の結婚式に招いた家族ぐるみの友人夫婦は2組とも夫婦別姓だが、「半分の夫婦が離婚する」と言われるアメリカでは珍しく夫婦も家族も大の仲良しだ。
だから、日本での夫婦別姓反対派の主張である「同じ苗字でないと、家族としての絆が薄くなる」とか「夫婦別姓にすると離婚しやすくなる」という説は、私にはまったくピンとこない。また、私が幼稚園と小学校でボランティアしていたときにも、親と姓が違うからといっていじめられていた子はいなかった。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、2014年に新聞で結婚のお知らせをしたカップルのうちなんと3割が夫婦別姓だったという。ここまで来ると、夫婦別姓なんて、もう珍しいことでも何でもない。