「幕府の開国とは、まやかしの開国だ。幕府は諸藩や商人が勝手に貿易すること、すなわち私貿易を禁じ、すべての物資の流出入を幕府が管掌しようとしている。つまり自らが外交主権を握っていることを列強に示し、開港した五つの港(箱館・新潟・横浜・神戸・長崎)から上がる利益を独占しようとしているのだ」
この時、すでに下田は閉港されていた。
「そんなことでは、潤うのは幕府ばかりではありませんか」
「その通りだ。開国とは名ばかりで、実際は幕府の財政再建を貿易に託そうというのだ。こんな虫のよい話はない」
「では、やはり攘夷すべしと仰せか」
「そこが難しい。下手に攘夷などすれば、列強に進駐の口実を与えてしまう」
「江藤さんは大攘夷と小攘夷は違うと言い、闇雲な小攘夷を否定されていました」
大隈が江藤の思想を語る。それを中野は腕組みして聞いていた。
「わしも江藤の『図海策』は読んだし、江藤の考え方も分かる。だが大攘夷への道のりは遠い。その間に列強は日本をしゃぶり尽くす」
「それほど外夷とは恐ろしいものなのですか」
中野が顔をしかめつつ言う。
「恐ろしいも何も、自らの利になることなら何でもやる連中だ。彼奴らに武士の情けなどという言葉はない。清国を見ろ」
阿片戦争の結果、清国は実質的に列強の植民地となり、その弊害はいたるところに出ていた。貧困にあえぐ人々は太平天国の乱に与したので、内乱によって国力はさらに疲弊していった。それは開国の弊害というよりも、戦争に負けた結果として、過酷な仕打ちを受けたことに起因している。しかし平和裏に開国したところで、さして変わらない状況に陥るのは目に見えていた。
「だからこそ、わが殿はいち早く富国強兵策を推し進めた。しかしその危機感を共有できているのは薩摩藩くらいで、残る諸藩は、いまだ太平の夢を貪っている」
「それを打破していくためには、やはり国家体制の大幅な刷新が必要なのですね」
「そうだ。諸藩の有志は皆、口をそろえてそう言っている。ただ幕府を倒すとなると、抵抗勢力も出てくるだろう。内乱でも起これば列強の思うつぼだ。何とか平和裏に国家体制の刷新を図っていくしかない」
中野は酒を飲み干すと、煙管を取り出した。これまで遠慮していた大隈も、それを見て自らの煙管を取り出し、細刻みを詰め始めた。
「そなたは国事に関心があるのか」
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