二元論で考えてはいかん」|気宇壮大(十) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 神陽邸での会合が終わり、皆はそれぞれの思いを抱いて散っていった。

 大隈はさらに詳しい話が聞きたいと思い、中野方蔵の後を追った。中野は旅慣れしているためか歩くのが速い。後方から小走りになって追いついたが、中野が歩度を緩めないため、大隈は息を切らしながら問う格好になった。

「中野さん、江戸はたいへんなことになっていますが、殿は大丈夫でしょうか」

「分からんな」

 元来、中野は素っ気ない男だが、そのくらいでめげる大隈ではない。

「井伊大老と親しかったというだけで、水戸藩士や不逞浪士に狙われるのですか」

「親しかったどころではない。肝胆相照らす仲と言ってもよい」

 直正と直弼は人間的にも気が合ったらしく、気宇壮大な海軍国構想を描いていた。天草島を一大造船・海軍基地とし、そこを日本艦隊の根拠地とし、アジア諸国に乗り出していこうという事業計画や、蝦夷地と樺太を開発する件などを大いに語り合っていた。だが直弼の死により、二人が描いていた海軍国構想は水泡に帰してしまった。

「そうだったんですか。実に残念ですね」

「ああ、井伊大老にも悪いところはあったが、ほかの老中連中に比べれば、しっかりと先々を見据えている人だった」

「今、中野さんは『井伊大老にも悪いところはあった』と仰せでしたが、それはどんな点ですか」

 中野が歩度を緩めず答える。むろん息は切れていない。

「開港策はいい点ばかりではない。安政五年(一八五八)の通商条約締結による開港により、外国商人が生糸を大量に買い付けるようになった。これにより養蚕や製糸を行っている地域は大いに潤った。ところが、それが農産物の価格を上昇させ、下級武士や町人たちの生活を圧迫したのだ。つまり彼らは開国を悪いものとして憎み、攘夷論に与するようになった。さらに日本では金の価格が銀に比べて安かったので、外国人たちは争うように金を買い付けた。これに慌てた幕府が小判の金の含有量を減じたため、すべての価格が高騰するという悪循環を招いてしまった。それが開国の実像さ」

「では、中野さんは開国に反対なのですか」

 中野は初めて歩度を緩めると、大隈をにらみつけた。

「よいか。わしは佐賀藩士だ。攘夷論にも同情の余地はあるが、藩の方針に逆らうつもりはない」

「尤もなことです」

「だが、このまま開国を進めれば、この国がひどいことになるのも自明の理だ」

 —江藤さんと同じ考えだ。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切...もっと読む

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コメント

kumabouroMM https://t.co/A5WFpeO87h いっけなーい!更新、更新~ (後でゆっくり読みます) 約2ヶ月前 replyretweetfavorite

maito0405 薩長土肥といわれ、一番後ろの佐賀でも、中ではエネルギーが蠢いているなあ。それでも思想集団化しないところは気質だろうか 約2ヶ月前 replyretweetfavorite