第9章それは「男の美学」なのか?|1「男らしさ」の起源

「カッコいい」には「人倫の空白」を埋める機能があるが、これは、「男らしさ」とは違って、ジェンダーレスの美徳たり得るのであるーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)


1「男らしさ」の起源


「カッコいい」オモチャ、「かわいい」オモチャ

「カッコいい」という価値観は、しばしば「男の美学」と理解されてきた。つまり、「男らしさ」こそが「カッコよさ」の根源である、と。

 こんな発想は、今日では呆れられるだろうが、女性に対しても「カッコいい」という言葉が用いられるようになったのは、さほど古い話ではなく、一般化したのは一九九〇年代以降だろう。

 旧弊なジェンダーにまつわる偏見を、一旦受け容れた上で話を進めるならば、「カッコいい」という「男性的美/美徳」と対比される「女性的美/美徳」は、「かわいい」だった。

 今日でも、それが最も如実に表れているのは、子供のオモチャの世界である。

 デパートなどのオモチャ売り場に行くと、乳児の玩具に関しては、かなりユニセックスで、全体的に「かわいい」と言えるが、アニメや特撮ものなどのキャラクター・グッズが増えてくる幼児期以降は、男の子のオモチャは「カッコいい」、女の子のオモチャは「かわいい」と分化してくる。

 男の子のオモチャは、青や黒、金属的なシルヴァー、赤などが主体で、ヒーロー物の武器や変身アイテム、車や飛行機といった乗り物、昆虫や恐竜など、ゴツゴツした手触りのものが多い。対して、女の子のオモチャは、ピンクやライトブルーといったパステルカラーや白が主体で、丸みを帯びた、小動物的なキャラクターが目立ち、手触りはしばしばやわらかい。

 前者は例えば、「ウルトラマン」や「仮面ライダー」、後者は「キティちゃん」や「すみっコぐらし」などが典型だが、勿論、これはかなり大雑把な二分法で、「ドラえもん」のようにどちらとも言えないキャラクターのオモチャもあり、また「セーラームーン」のように「カッコいい」女の子向けのキャラクターも九〇年代以降は見られた。

 それでも、子供自身が、いつの頃からか、男の子は「カッコよく」、女の子は「かわいく」なりたがるようになり、それが大人になるまで続いている。

 当然、男の子のオモチャの勇壮さには、戦争のイメージの反映があり、歴史学者のアルノー・ボーベローによると、例えば、フランスでオモチャのジェンダーが分化していったのは、大量生産によって、男の子らしさ、女の子らしさが画一化していった一九世紀末以降のことで、取り分け一八七〇年の普仏戦争の終結以降、大砲や軍装セットなどが増え、第一次大戦で更に顕著になったという。(1)

 我々がよく知っている興味深い事実として、子供は「美」にあまり関心を示さない。五歳の子供を美術館に連れて行って、ラファエロの絵の前に立たせたところ、感動に打ち震えて動けなくなったなどと聞けば、誰もがその子に尋常でない才能を見出すことだろう。

「崇高」なものは、怖がるかもしれない。しかし、何かスゴいものには喜んで反応するし、ヘンなものも面白がる。しかし、すぐにその価値がわかり、夢中になるのはやはり「カッコいい」ものであり、「かわいい」ものであって、それに関しては、さしたる「趣味の洗練」の訓練もない。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
カッコいい」とは何か

平野啓一郎

『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません