われらが新しい日本を作るのか。 | 気宇壮大(四) 2

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。

 実は神陽の父の南濠は、弘道館の教諭ながら朱子学を重んじず「日本一君主義」という尊皇思想を唱えた草分けの一人だった。それもあってか、藩は息子の神陽を江戸の昌平黌に留学させ、朱子学を徹底的に学ばせようとした。しかし神陽は父よりも国学に傾倒し、「皇国の古典籍こそ学ぶべき」と唱えていた。

 神陽が悠揚迫らざる態度で答える。

 「日本において、『君』と呼べる存在は天皇を措いてほかなく、武士の君臣関係は天皇との間にだけ存在します」

 「では、大名と家臣の関係は何とする」

 「大名は幕府を通して天皇から拝受した禄を、家臣に再配分する役割を担う機関です。それゆえ主従関係となりますが、この関係は契約を基にする一時的なものです」

 「君臣関係を一時的なもの、と申すか」

 「はい。君臣関係は東照大権現(徳川家康)が軍事力によって確立した政治体制であり、一時的なものです。あくまでこの国の政治の中心には天皇がおり、執政権を徳川家に預けているという形になります」

 「なるほど、そういう考え方もあるのだな」

 安房が腕組みする。

 —さすが神陽先生だ。

 いかなる問いにも鮮やかに切り返せる神陽の賢さに、大隈は感心した。

 「こうしたことは、日本古来の史学を学べば自ずとわかります」

 神陽は義祭同盟の若者に対し、『古事記』『日本書紀』『大日本史』といった純粋な史書から、『大宝令』『職原抄』といった法律や官制の文献まで読むことを勧めていた。

 「そこから何が得られる」

 「日本人としての誇りや結び付きです。現行の体制の弊害として、われわれは一藩主義を貫くことになり、また鎖国を行うことで、概念としての外国の存在は意識できても、実害を及ぼす存在として意識したことはありませんでした。すなわち諸国の藩士にとっては、オランダやエゲレスも薩摩や肥後も変わらないのです」

 「その意識を変革させるために国学が必要だと説くのだな」

 「その通り。もはや現行の体制では外夷の侵攻に対抗できません。ご家老は薩摩公(島津斉彬)が唱える『日本一體(体)一致の兵備』をご存じですか」

 安房が力強くうなずく。

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は どのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、 明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切...もっと読む

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kumabouroMM https://t.co/dkMQfVoKhI 台風の事で頭いっぱいで更新忘れていました、、、すみません、、、 11日前 replyretweetfavorite