6爛熟の第三世代
イギリス帝国の最盛期に
第三世代は一九世紀後半、ヴィクトリア朝時代のロンドンに出現する。
この時代は、イギリス帝国の最盛期であり、政治的に安定し、警察権力によって治安も維持されており、資本主義の目を瞠る発展によって、社会ダーウィニズムの原型的な競争社会が出現する。今日の日本の「自己責任論」のように、自助の精神が称揚された時代だった。
大富豪のブルジョアがいる一方で、社会の最下層には貧困者が溢れていた。その悲惨さは、ディケンズの小説でもよく知られている通りである。初期には特に上下水道の未整備からコレラが流行するなど、衛生状態に問題があったが、貧困層ほどその危険により多く曝された。
ロンドンの人口過密は深刻であり、この時代に数多くの建物が建造されたが、「貧しい人々のための家はほとんど建てられていないし、それどころか、鉄道建設、道路改修、そして他の重要な公共施設の建設が続けて行なわれたために、貧しい人々を収容する設備がますます不足していった。」(8)
富裕層は都心から脱出することが出来たが、貧困層は取り残された。「失業unemployment」という言葉が生まれたのもこの時代である。社会的腐敗や堕落にも事欠かなかったが、その矛盾を、ピューリタン的な禁欲主義が覆い隠していた。
この時代に、第一世代と第二世代を引き継ぎ、独自に発展させたのが、オスカー・ワイルドを代表とする第三世代のダンディたちである。
ワイルドのファッションの変遷
ワイルドというと、一般に『サロメ』や『ドリアン・グレイの肖像』の印象が強く、世紀末デカダンスを代表する唯美主義者であり、豊かな教養を誇りつつ、大衆の俗悪と愚劣を華麗な逆説で嘲弄し、健康や常識、禁欲、自然賛美、勤労、正直さといった、当時の社会の偽善を挑発し続けた人物と認識されている。無論、それも間違ってはいないのだが、他方で、童話『幸福な王子』や『わがままな大男』のように、ナイーヴすぎるほどにその社会の偽善に傷つき、憤り、弱者に対する慈しみの感情を露にする一面もあった。この挑発的なワイルドと心優しいワイルドとは、偽善という悪を巡って表裏を成している。
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