平野啓一郎
第8章「キリストに倣いて」以降|2近代以降の「個性」
「カッコいい」も、単に「しびれる」ような興奮が消費されるだけでなく、生き方の理想像として同化・模倣願望を掻き立てられる時、その存在は、恐らく「真=善=美」を体現していると受け止められているのであるーー。平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日毎日更新)
2近代以降の「個性」
脱宗教化と個人主義の確立
「カッコいい」とは何かについて考えることは、結局のところ、個人の生き方について考えることである。そして、その基本となるのは、個人主義individualismであり、この言葉が使用されるようになったのは、一八二〇年代のことである。
ヨーロッパ社会の近代化以降の脱宗教化と個人主義の確立については、ありとあらゆる説明が成されていて、極最近も、ユヴァル・ノア・ハラリが、次のようにあっさりと総括したところである。
「意味も神や自然の法もない生活への対応策は、人間至上主義が提供してくれた。人間至上主義は、過去数世紀の間に世界を征服した新しい革命的な教義だ。人間至上主義という宗教は、人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考える。伝統的には宇宙の構想が人間の人生に意味を与えていたが、人間至上主義は役割を逆転させ、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考える。人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界のために意味を生み出せ──これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。
26913
false
この連載について
平野啓一郎
『マチネの終わりに』『ある男』を発表してきた平野啓一郎が、小説を除いて、ここ十年間で最も書きたかった『「カッコいい」とは何か』。7月16日発売の新書を全編連載。 「カッコいい」を考えることは「いかに生きるべきか」を考えることだ。(平日...もっと読む
著者プロフィール
1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。
著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』等がある。
webサイト:HIRANO KEIICHIRO official website
Twitter:@hiranok
Facebook:http://www.facebook.com/hiranokf/