NHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」。1932年、田畑(阿部サダヲ)率いる日本競泳陣はロサンゼルスオリンピックで大旋風を巻き起こす。200メートル平泳ぎの前畑秀子(上白石萌歌)も空前のメダルラッシュに続こうとするが決勝レースは大混戦に。IOC会長ラトゥールは日本水泳の大躍進の秘密に強く興味を持つ。治五郎(役所広司)はその答えを見せようと日本泳法のエキシビションを思いつく…
ロサンゼルス・オリンピック編は、水着が印象的だ。古式ゆかしい布製の水着。体のラインを足先まで流線型に整える現在のものとはまるで異なるクラシックな出で立ちに、最初は違和感を感じていたのだが、そうか、大河ドラマだったと思い直した。これは戦国物における、甲冑のようなものなのだ。甲冑を身につけた武将たちのドラマに慣れ親しんできたわたしたちが、もはやその姿に違和ではなく勇壮さや格好良さを感じるように、1930年代のクラシックな水着姿にも、もしかしたら違和を越えた何かを感じるときがくるのではないか。
いや、もうそのときはきた。回を重ねたいま、彼らの時代的な水着姿を、わたしはもはやすがすがしい夏のひとびとの姿として受け止めつつある。
女子200m決勝、前畑秀子が、ヤコブ、デニスと競っている。
ゴールまであと10m、そのとき音声は急に水上と水中の区別をつける。頭を上げるときこえる歓声が、水中に頭をつけた途端に静まる。これは前畑の一人称、前畑のきいている音だ。最後は息継ぎなしで頭を水に突っ込んだままの連続ストローク。もはや耳は水で蓋をされて、ごぼごぼという呼吸音しかきこえない。
そして、わたしは上白石萌歌の意外な表情を見る。もし、彼女をフォトジェニックにとらえるなら、この水中のショットはない。眼を見開き、息をこらえる顔。鼻から泡。わたしたちは地上にいる時、他人が鼻で息をしているということを、普段はあまり意識しない。だから「鼻息が荒い」と言う。鼻息荒く話すのは、いかにも非日常的で、下品な話し方なのだ。そして、鼻息に関して言えば、現在もなおジェンダー差がある。「彼」が鼻息荒く話すと何か息巻いているように見えるが、「彼女」が鼻息荒く話すと(「のだめカンタービレ」ののだめがそうであるように)どこか滑稽味が増す。「彼女」の鼻息がマンガの世界以外で語られることは、あまりない。
その鼻息がいま、可視化されている。泡だ。上白石萌歌の鼻からごぼごぼと泡が出ている。古風な水着、大量の鼻息。滑稽か。いや、これは前畑の、水との格闘だ。水中では吸うことは許されない。息はただ出て行く。その息が鼻からぼこぼこ吹き出すのが見えるほどに、前畑は水と戦っている。最後のストローク。1932年のプールにタッチパネルはない。壁に手を突いた瞬間、河童のマーちゃんがストップウォッチを押してくるりと一回転する。
前畑は水から上がって、思わず空中で口から息をする。ようやく吸うことが許された。しかし歓声がない。きこえるのは自分の呼吸の音だけ。耳が水でふさがっているのだ。自らの腕に頭をもたせかけ、呆然と見上げる眼は、長い時間水につかっていたせいだろうか、すっかり血走っている。