今日の相手は手ごわい。すぐそこに王将があるのに、なかなか近づくことができない。桜井詩織は、確実に存在する正解への道筋を頭の中で組み立てる。
やがて、霧が晴れる瞬間が訪れる。相手を攻略するまでの手順がはっきり見える。詩織は勝利を確信する。この瞬間がたまらない。朝日が差し込む居間に、乾いた駒の音が響く。
家を出る時間が近づいてきた。
紺のブレザーにチェックのスカート。正直、あまり好みとはいえないデザインだが、いましか着られないんだから、という祖母の言葉でひとまず自分を納得させている。
高校2年の5月。進路や将来を思案する時間が増えてきた。
詩織は帰国子女だ。15歳まで、アメリカのシアトルに両親と暮らしていた。両親はいまもシアトルにいる。両親との不仲もあり、棋士だった母方の祖父に将棋を習おうと16歳で帰国したが、間もなく祖父は急逝してしまった。いまは祖母と二人で暮らしながら、日本の環境に慣れるため、あえて中くらいの偏差値の公立高校に通っている。
シアトルでは、ひたすら勉強に没頭した。誰かに強要されたわけではない。周囲が皆そのような生徒ばかりだったからだ。シアトルの同級生たちは、自分がいまどんな勉強に興味を持っていて、将来どんなことをしたいのかを、自分の言葉で語っていた。「勉強とは、自分の人生をより良くするために自分からやるもの。親や教師に強制されてやるのは勉強ではなく作業である」という価値観は、この頃に培ったものだ。
とりわけ、詩織は数学にのめりこんだ。物事を整理し、構造を把握し、論理的に思考することで必ず存在する解を導く。その秩序立った行為の「美しさ」と、「問題が解ける」という、シンプルな成功体験の積み重ねが、詩織を数学に夢中にさせた。15歳ですでに日本の高校レベルの数学まで習得していたため、帰国直後の模試でいきなり全国1位をとってしまうという「事件」も起こしていた。
居間にある本棚には、洋書を含め大学で学ぶ高等数学の専門書や、数学の歴史書が整然と並んでいる。最近は、偉大な功績を残した数学者の人生を描いた本を読み漁る日々が続いている。オイラー。ライプニッツ。アーベル。ガロア。フェルマー……特に尊敬するのは、ドイツの数学者カール・フリードリヒ・ガウスだ。幼い頃から周囲を圧倒する天才だったがゆえ、とても生意気だったというガウスに、詩織は勝手に親近感を抱いていた。できることなら、最初に付き合うのは彼みたいな人がいい。
いま詩織の脇に置かれている通学鞄の中に入っているのは、財布と携帯電話、そしてガウスの解説書が一冊だけ。今日の授業中に読破するつもりだ。日本の高校の授業は、あまりに退屈すぎる。
そんな詩織にとってもう一つ夢中になれるものが、将棋だった。囲碁も好きだが、将棋の方がより奥深さを感じられる。将棋はとても数学的な遊びだ。詩織はすぐに夢中になった。ただ、将棋には一つ重要な前提がある。それは「二人でなければできない」ということだ。
将棋盤の向こうには、誰もいない。
棋士だった祖父が半年前に他界し、対戦相手がいなくなったいまはもっぱら一人でできる「詰め将棋」で気を紛らわしている。使っている将棋盤と駒は祖父の形見だ。オンラインゲームで将棋の対戦を楽しむこともできたが、なんとなく気が進まなかった。
部屋にある鳩時計が「もうそろそろ学校へ行きなさい」と教えてくれている。
詩織は正座を崩して無言で立ち上がり、鞄を持って玄関へ向かう。 ドアを開けると、小鳥のさえずりが耳に入ってくる。その鳴き声は、今朝の詩織には少し耳障りに感じた。