思いを口にするから相手は動く 勝ちたければ、自己を主張せよ!
いつの日か、ニュージーランドでラグビーがしたい——。
私がそう思うようになった最初のきっかけは、実を言うとグラハム・ヘンリーに出会うよりももっと以前、高校生のときである。当時の私は高校日本代表チームに選抜されていたのだが、その試合相手として、ニュージーランドの高校代表チームが招かれた。そのなかにヴァインガ・ツイガマラという選手がいた。のちにオールブラックスに選出される優れた選手だが、この試合で私はタックルで三回、彼を仰向けに倒した。試合後、ヴァインガ・ツイガマラは私のところに来て言った。
「お前すげえな。ニュージーランドに来て、俺たちとラグビーをやろうぜ」
その言葉で、私のラグビー熱がさらに燃え上がったことは言うまでもないだろう。
そしてその後、大学三年になり、前述のように臨時コーチで来たグラハム・ヘンリーと出会うわけだが、ヘンリーは日本を去る際、私にこんな手紙をくれた。
「キヨシ、君は国内でトップを目指すのではなく、世界を目指しなさい」
このように、ヴァインガ・ツイガマラの言葉とグラハム・ヘンリーの手紙が、私の「ニュージーランドでラグビーがしたい」という思いを後押ししたのである。だが、憧れのニュージーランドでラグビークラブに所属できたとはいえ、それでかの地のラグビー生活が順風満帆というわけではなかった。
入ったばかりの私に向けられたのは、冷たい視線である。
「どうせ、金持ちの日本人が遊びに来ただけだろう」
そう見られているから、私がどんなプレーをしようと、監督もコーチも褒めることはおろか、叱ってもくれない。「もっとパフォーマンスを高めていけば、アドバイスをもらえるに違いない」そう思い、必死になって練習にも試合にも取り組んだが、監督やコーチはひと言もアドバイスをくれないままだ。そうして悶々とした日々を過ごしていた私だが、あるとき、思い切って監督に問いかけてみた。
「どうして、何も言ってくれないんですか?」
意思を主張しないと評価も信頼も得られない
監督の答えは冷たかった。
「君は、ラグビーをただエンジョイするために、うちに来たんだろう。そういう人には、私が教えることは別にないよ」
それは違う、と私は思った。ヴァインガ・ツイガマラのような選手と再び戦いたかったし、グラハム・ヘンリーの言うように、世界を目指したかったのである。そこで、私はこう切り返した。
「いえ、自分の願いはもっと上のレベルで活躍すること。そして日本代表に入ってワールドカップに出たいんです!」
すると監督は言う。
「そうか。だがキヨシ、君は私に何も聞いてこなかった。だから私は、君が今の自分に満足していると思っていた」
必死に練習や試合に取り組むことで示そうとした私の思いは、まったく伝わっていなかった。言葉による自己主張、これをしない限り、ニュージーランドでは相手にされないのだ。私がこうして自分の意思を主張しはじめたことを契機に、監督は次のようにアドバイスをくれるようになった。
①相手のハイキックは全部フルバックが取る
②すべてのアタックに参加せよ。そのためにスプリントトレーニングをせよ
グラント・フォックスやショーン・フィッツパトリックといった、とびきり優秀なチームメートも、私が雑なプレーをすれば叱り、いいプレーをすれば「ナイスプレー!」と褒めてくれるようになった。
なぜ、ニュージーランドで、これほどの自己主張をしなければならないのか。それは、多くの国々から移民が集まってできたという、この国の歴史にヒントがあるだろう。異なる文化や宗教、価値観が混ざり合うニュージーランドでは、しっかり自己主張して意思を相手に伝えなければ、理解してもらえない。そこでは、日本の「察してもらう」「空気を読む」という文化は通用しないのだ。自分の意見をはっきり主張しないと、周りから評価も信頼も得られない。逆を言えば、意思をしっかり主張することで、他人よりも多くのチャンスをつかむことができるということである。
私はもともと思いをはっきりと口にするタイプだと思うが、その私ですら、こうしたコミュニケーションのエアポケットに入ってしまっていた。こうしたコミュニケーションの擦れ違いは、日本人の誰もが経験することだと思う。そうした状況を打開するためには、積極的に「自分はこうなりたい。そのために、こうしたい」という意思表示をすることが重要だ。これはラグビーに限らず、我々日本人が国際社会で結果を出すための大前提と言えるだろう。