ラグビー王国で感じた「組織への貢献精神」という文化
私がニュージーランドのラグビー留学で実感したことは、プレー面、意識面を含めての日本ラグビーとの大きな「違い」だった。ラグビーに対する考え方、勝利に対する意識、コミュニケーションの取り方、そのすべてが、ニュージーランドと日本では大きく違っていた。私が最も強く印象づけられたのは、ニュージーランドでは勝利の大前提として「ラグビーを心底楽しむ」という姿勢が明確に貫かれていたことだ。心底楽しむためだからこそ絶対に勝ちたい。絶対に勝つためにみんなで協力する。一人のラガーマンとしてプレーを楽しみ、チームとして勝利をめざすことを楽しむ。彼らのラグビーには、そんな健全かつ協同的なスポーツ観が織り込まれている。
そのマインドが原理原則になっているため、ニュージーランドのラガーマンは「組織の一員として戦う」という事実に対してきわめてポジティブな意識を持っている。自分個人とチームを一体化してとらえ、そこに個人のエゴイズムは存在しない。「勝つために、自分の持っているスキルを、いかにチームプレーに適合させるか」 こうした真の「組織への貢献精神」こそが、日本のラグビーチーム、そして日本の組織と大きく異なっている点だ。
一例として、以前、私がラグビー日本代表に選ばれた際のミーティングでの経験をお話ししよう。そこでは指導者やチームメンバーの中に、次のような意気込みを口にする人たちがいた。
「俺たちは、国を背負っている」
「いいかお前ら、死ぬ気になって、やってこい!」
すると、チームのムードはどういう方向に流れていくか。
「負けたらみんなに申しわけが立たない。とにかく当たって砕けよう!」
「そうか、死ぬ気ってことは、勇気と覚悟を持って、ひたすら敵に突っ込んでいけばいいんだな」
短絡的にそのようにとらえ、チームには後先を考えない単純な行動や、主観をもとにした勝手なプレーばかりが生まれはじめていた。タックル一つをとっても、相手の懐に飛び込んで終わりだ。もちろんそれは勇気と覚悟を持ってした行動なのかもしれないが、ただの捨て身になってしまい、次のプレーに続いていかない。
一人ひとりはとても真摯に、一生懸命にプレーしているのだが、「チームプレーとして、これはどんな意味があるのか」がすっぽりと抜け落ちてしまっている。まさに思考停止の状態である。結果として、なかなか勝ちをつかむことができなかった。
ビジネスパーソンの読者は体験したことがあると思うが、ビジネスの現場での思考停止はまさに命取りである。 結果を出すことを強く意識してこそ、タフな交渉に耐えることができ、最後の一手を繰り出すことも可能になる。結果などどうでもいい、自分が懸命にやっていればそれでいい、などと考えるビジネスパーソンが勝ちを手中にすることはないのと、これ は全く同じことである。
自分が生きることがチームの勝利につながる
ところが、オールブラックスは、まったく考え方が違っていた。言っておくが、オールブラックスが背負っている国民の期待は途方もなく大きい。そこから受けるプレッシャーは、日本代表などには及びもつかない強さであり、プレーに対する勇気と覚悟も、相当のレベルのものが要求される。だが彼らは、決して「死ぬ気で」などと口に出さないし、そもそもそうした考えがない。なぜなら至極当然のこととして、このプレーで自分が壊れてしまったら、チームのプレー自体が崩壊してしまい、相手に勝つことができないからだ。
勝つか負けるかというせめぎ合いで、最後まで諦めずに相手を追いかけ、捕まえて倒す。相手が突っ込んできても、それをなぎ倒し、生きてトライを奪う。自分一人が捨て身になるのではなく、チームプレーとしてそれが的確だという確信を持って、動く。そのために、チームという運命共同体を組織している。これこそが、メンバー各自がオールブラックスとして戦う意識づけなのだ。こうした戦う意識づけを、私はニュージーランドでラグビーをすることで学んだのである。