裁決の時|4−8

戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。法の正義はどこにあるのか──。一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。昭和19年3月、大日本帝国海軍の重巡洋艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈。救助した捕虜を殺害した。戦犯弁護人として香港にやってきた若手弁護士の鮫島は、裁判資料を読み込むうちに、この事件の──大日本帝国海軍の──抱える闇に気づいていく。圧巻の歴史小説!(水・金 10時更新)

 香港での正月は寂しいものだった。昨年のクリスマス直前、オーダリーたちも帰国し、日本人通訳も残務処理に携わる数人を残して帰っていった。

 まだ残っている公判はあるものの、目に見えて戦犯裁判の関係者は減ってきていた。

 正月早々、「コンファメーション」が済んだという通知が来た。「コンファメーション」は、まさに判決をコンファーム(確認)しただけで、判決に至るまでの裁判手続きには、何一つミスはなかったようだ。

 これで五十嵐の死刑が確定した。

 死刑執行日の一週間ほど前、鮫島のところに五十嵐から便りが届いた。

「拝啓 昨年中はお世話になりました。判決は残念なものになってしまいましたが、あなたと真実の航跡を追う旅は素晴らしいものでした。それゆえ私は意気軒昂としています。食事は残さず食べていますし、よく眠れます。待遇も悪くはありません。いよいよ執行の日が迫ってきましたが、私は悲観もせず、煩悶もせず、誰かを恨むこともありません。残る日々を不快に過ごすも、愉快に過ごすも心の持ちようです。それなら私は愉快に過ごしたい。日々、明朗元気を期して過ごしています」

 それがどれほど本音なのかは、鮫島にも分からない。

「これまでの五十八年の生涯を振り返ると、山あり谷ありで順風満帆というわけではありませんでした。しかし周囲の人々の好意に恵まれ、幸せで充実した人生が送れたと思います。このまま隠居して生き永らえたとて、それは人生の余禄にすぎず、もはや燃え殻でしかないでしょう。それを思えば、五十八歳という年齢はちょうどよいのではないかと思います。敵味方問わず、多くの若者たちが『もっと生きたい』と思いながら死んでいきました。帝国海軍の中将として申し訳ない気持ちでいっぱいです。償いの形は様々ですが、私のような死を迎えるのも、償いの方法の一つだと思います。私が満足しているのは、私は罪人として死ぬのではなく、責任者として死に臨むことができることです。そこには何ら恥ずべきものはありません。これもひとえに貴君のお陰です」

 手紙の中の五十嵐はじようぜつだった。普段は寡黙な五十嵐だが、様々な思いが頭の中では渦巻いているのだろう。処刑されるという事実を、懸命に納得しようという気持ちも伝わってくる。

「最近、考えるのは日本の将来です。われわれの世代が日本をこんな姿にしてしまったことは、ざんに堪えません。だが絶対に捨てねばならないのは、復讐や報復の感情です。戦犯者の中にも、不公正な裁判や刑務所での虐待行為に恨みを抱き、子孫の代には『必ずこの恨みを晴らすべし』などと肉親に向けて手紙に書くやからがいます。それはとても悲しいことです。報復感情は何も生み出しません。かくのごとき狭い心では、日本人が国際社会に参加することも叶わないでしょう」

 五十嵐は同じ処刑予定者に対しても手厳しかった。

 ──その通りだ。だがそれが分かっていても、そうは思えないのが人ではないか。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
真実の航跡

伊東潤

一人の若き弁護士が、“勝者なき裁判”に挑む。圧巻の歴史小説! 太平洋戦争中に起きた非道な捕虜殺害事件。 戦後、BC級戦犯裁判で浮かび上がった、驚愕の真実。 法の正義はどこにあるのか――。 昭和19年3月、大日本帝国海軍...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

suerene1 真実の航跡 - 伊東潤 https://t.co/PrTDlYXBbs 2ヶ月前 replyretweetfavorite