早送りで歌い踊る野口五郎
長髪のヅラに、ド派手なスーツ、そして短足を強調するように股下が異様に短いズボン。そこに流れてくるのは、1979年のヒット曲「真夏の夜の夢」。野口五郎の名曲である。
「その時 あなたは バラになり その時 ぼくは 蝶になり♪」
と始まるそれは、明らかにおかしい。ピッチが早いのだ。そのテンポに追いつくように懸命に歌い踊るのは野口五郎をモノマネしているコロッケだ。それが「野口五郎の早送りモノマネ」である。
白目を剥き、口は半開きで、早いテンポの曲に合わせ小刻みに揺れている。時折見せる決め顔も、完全に「アホ」の子のそれである。二枚目アイドルをモノマネしているとは思えない。
極めつけは、サビに入っていくときだ。おもむろに小指をつき出したと思うと、それを鼻の穴へ。それどころか、ほじり終えると、そのまま小指を口に運び、鼻くそを食べてしまうのだ。
よくモノマネ芸人は、根底にその人が「好き」という思いがあるからモノマネをする、というが、そんな言い訳が通用しないほど悪意に満ちたモノマネである。
実はこの「早送りモノマネ」こそ、コロッケ独自のモノマネ芸の原点だった。
「似てるけど、面白くないね」
コロッケが初めて人前でモノマネを披露したのは中学3年生のときだった。
修学旅行の移動のバスの中で郷ひろみの「よろしく哀愁」をモノマネで歌うと、女子生徒たちから歓声があがった。それが嬉しくて、ブルース・リーやアイドル歌手などのモノマネをするようになった。
女子にモテたい一心だった。芸能界への憧れが強くなったのもこの頃。高校に進学すると、自ら地元のカラオケスナックに売り込みに行き、そこでモノマネを披露。チップをくれる人までいて、次第に地元では有名な存在になっていった。
そんなコロッケにチャンスが訪れる。高校を卒業し、相変わらず夜のスナックでモノマネをやっていた頃だ。知人の紹介で東京のラジオ番組出演の機会が与えられたのだ。しかも、パーソナリティは赤塚不二夫、タモリ、所ジョージという錚々たるメンツ。
一世一代のチャンスに、コロッケは自らの十八番であるモノマネを披露した。だが反応は芳しくなかった。
「似てるけど、面白くないね」【※1】
彼らにそう言われ、失意のコロッケは地元・熊本のスナックなどでモノマネを披露する生活に戻った。
変則的モノマネが起こした革命
野口五郎のモノマネをしようとレコードをかけたときだった。たまたまLPとEPの回転数を間違えてしまったため、早送りの状態になってしまったのだ。
レコードをかけ直せば良かったのだが、コロッケはそうしなかった。その早送りで流れる音楽に合わせてモノマネを強引にやったのだ。場内はバカ受けだった。「早送りの野口五郎」というコロッケ独特のモノマネ芸が生まれた瞬間だった。
コロッケはその芸をひっさげ『お笑いスター誕生』(日本テレビ)に出場。5週連続勝ち抜くことができた。そのとき、審査員をしていたのが、以前彼を「面白くない」と切り捨てたタモリだった。
「前より面白くなってる」【※2】というタモリの言葉が、コロッケにとって大きな励みになった。
モノマネには大きく分けて「コピー派」と「パロディ派」があるという。コロッケはもちろん後者だ。だから「俺は似せようって思ってないからね」【※3】と笑う。
そっくりすぎるとホンモノの歌手の人たちもツッコみにくい。本人がやらないようなネタをやるからこそ「お前いい加減にしろよ!」などとツッコめる。その結果、モノマネする側、される側、双方が“得”をする。
野口五郎もそうだった。70年代、「新御三家」のひとりとして日本中を席巻したが、80年代後半には活躍の場を失った。だが、彼はコロッケのモノマネで再び脚光を浴びるのだ。
「似てるけど、面白くない」という酷評が、単なる形態模写にとどまらない「似てなくても面白い」コロッケの変則的モノマネを生み、モノマネ界に革命を起こした。
“極める”ことは真剣にやると極められない
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