「今日はカットで?」「はい」「明日は?」
「『大竹一樹の美容室』か……」
客役の三村マサカズが入ってくると、「いらっしゃいませ」と店主役の大竹一樹が迎える。
「今日はカットで?」「はい」と答えると続けて大竹は「明日は?」と問う。「明日は……やんないですよ」と困惑する三村。
さらに名前を尋ねられ「三村」と答えると大竹が「たぶん、3つの村が持てるようにって親がつけてくれたんだね」というと「名字!」と三村はシンプルにツッコんでいく。
「どんな風変わりな髪にしますか?」というボケにも「風変わりにはしないですよ!」と即座に言葉をかぶせていく。
散髪中、心理テストをやるとカステラの食べ方を聞かれ、三村が素直に答えると、大竹は「それがあなたのカステラの食べ方なんですよ」と飄々と言ってのける。
「そのままじゃないスか!」
三村はそのまま思いっきりツッコミを浴びせる。
最後にマッサージをするから、というも背後でその動きをするだけ。「当たってないですよ!」と叫ぶ三村を無視してなおも大竹は虚空をマッサージするように自らの手を叩くのみ。
「ゴリラか!」
大竹の軽妙洒脱なボケにシンプルでテンポのいいツッコミ。これがバカルディ時代からのさまぁ~ずの代表的コント「美容室」だ。
「全戦全勝」から「冬の時代」へ
バカルディは最初からすごかった。
「俺、全勝したもん。だって事務所ライブクラスだったらウケないと。3連勝したらもう味方がつくから。4、5連勝したら自分らのファンだけになる。そうすると自動的に負けなくなる」【※1】と三村が振り返るようにすぐにライブでスベり知らずの存在になり注目を浴びた。オーディション番組やネタ見せ番組で勝ち続け、瞬く間にレギュラー番組をつかむ。
そして1993年、結成からわずか5年足らずでフジテレビ22時台にホンジャマカとの冠番組『大石恵三』がスタート。しかし『電波少年』(日テレ)などの強力な裏番組があったことから視聴率で苦戦した。なにより「完全な力不足」だったと本人たちが振り返っている。
「いざやってみると、あれ、あんま面白くねえなと。『夢で逢えたら』に全然勝てねえなって思っちゃったんですよ。それは何でかっていうと、人から与えられたものを面白く演じないと、テレビって駄目なんだろうなって勝手に決めつけちゃってたから。言葉は悪いけど『やらされてる』みたいになっていた」【※2】
そんな状態だったから終わるのも早かった。わずか半年で番組は終了した。
ふたりは、この終了がどんな意味を持つか、それほど重要には考えていなかった。数あるレギュラー番組のひとつが終了した。それくらいの認識だった。けれど、現実は違った。折り悪くレギュラー番組が次々と終了。「冠番組の失敗」という烙印を押された彼らに、“冬の時代”が訪れる。
三村にとって大竹は“憧れ”の存在であり続けなければならなかった
「おっ、王様来たよ」
「ゴールデンタイムのドラマ蹴ったよ、コイツ」
事務所へ行けば、そんな揶揄が聞こえてきた。仕事はたくさん来ていたのだ。中にはゴールデンタイムのドラマ出演もあった。けれど「お笑い」の仕事しかしたくなかった。特に、コンビの中で「お笑い」の核を担っている大竹にレポーターのような仕事をさせては、お笑いコンビとして終わってしまうと受けつけなかった。大竹が「普通の人」になってしまうのを、三村が「見たくなかった」のだ。
三村にとって大竹は“憧れ”の存在であり続けなければならなかった。それがコンビとして生き残るための絶対条件だった。なかなかテレビに出れない苦しい時期でもライブは盛況。だから、自分たちの笑いに対して自信が揺らぐことはなかった。
一方で、次第に三村はレポーター役も受けるようになり、テレビタレントとして力をつけていった。
やがてバカルディは妙なところから火がつき始める。「~かよ!」という三村のツッコミがナインティナインやウッチャンナンチャンらから面白がられたのだ。ナイナイの『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で何度もネタにされ「関東一のツッコミ」などと呼ばれるようになった。
そして1997年『めちゃイケ』(フジテレビ)の「笑わず嫌い王決定戦」に出演したことがきっかけとなり、本格的にテレビで復活したのだ(そのさなかに「さまぁ~ず」へ改名。ちなみに同番組でさまぁ~ずとして初めて披露したネタが前記「美容室」だ)。
“天才”三村が勝てないと思った“天才”大竹
ふたりの出会いは高校時代に遡る。
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