諦めず3年手紙を書き続けられますか?
私の座右の銘は「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」です。
これは中国・戦国時代の思想家・孟子の言葉で、意味は「これ以上ないほど誠の心を尽くしても心を動かされなかった者など、いたためしがない」、つまり気持ちを尽くせば人は必ず動くということです。
後に吉田松陰が引用して、日本でも広く知られ るようになりました。
実は「至誠」を指針にしたのは、私の親父の影響です。
親父の生まれは徳島で、高校を卒業してから大阪に出てきました。最初は「ブリキ印刷」という、ブリキなどの金属板に印刷する会社に就職。体中が文字通りドロドロ になるほど働き詰めだったそうです。
次に勤めたのは手袋屋さんでした。親父はそこで頑張って役員にまでなったのですが、会社が倒産してしまったので徳島に帰郷。そこで親父の兄貴、つまり私の伯父とともに手袋屋の会社・野木商事を立ち上げました。会社員時代の手袋ネットワークを活用したわけです。
会社は順調に拡大を続け、自社ビルを建てるまで成長しましたが、手袋業界は徐々に斜陽産業に……。そこで親父が目をつけたのが女性用のショーツ、下着でした。大手メーカーからOEMで下着を製造しようというわけです。
狙いを定めたメーカーのひとつが、京都に本社のあるワコールでした。言わずと知れた、女性用下着メーカーの超大手です。
ただ、普通に考えれば、なんの取引もコネクションもない徳島の中小企業を、ワコールほどの大企業が相手にするはずもありません。
そこで親父は何をしたか。手紙を書いたのです。
うちの会社はこれこれこういう会社で、こんな実績があります。つきましては一度お話しさせていただけないで しょうか……と。
もちろん、 1 度や 2 度手紙を書いただけで返事などきません。しかし親父は、来る日も来る日も、諦めずに手紙を書き続けました。
そうして書き続けて 3 年目。ついにワコールのほうから「会いましょう」という返事がきたのです。晴れてワコールとの口座が開き、受注仕事が入るようになりました。
石の上にも3年と言うべきか、一念岩をも通すと言うべきか。
とにかく、親父の「誠の心」が大企業を動かしたのです。そして親父が引退をする頃にはワコールの下請け工場の中でトップ3に入るまでに成長しました。
そんな親父の仕事に対する取り組み方を、私はずっと見てきました。突飛なことや目立ったパフォーマンスなんかする必要はない。とにかく真面目にコツコツやっていれば、真心は必ず相手に伝わる。
私は今でも、ここ一番で誰かを口説き落としたい時は、手紙を書くことにしています。
前述の林田ひろゆきさん(和太鼓奏者)に和太鼓を教えてもらいたいと手紙を出し、 堀木エリ子さん(和紙作家)にパッケージデザインをお願いしたいと手紙を出し、北尾吉孝さん(SBIホールディングス代表取締役社長)にパンツを穿いて下さい! と手紙を出して、すべて実現しました。
ただ、パンツのデザインをしてほしい! とお願いした井上雄彦さん(漫画家)、寄藤文平さん(グラフィックデザイナー)には丁重にお断りされましたけど(笑)。