光一は、他人の価値観で生きてきた人間
北野唯我(以下、北野) このあいだ『天才を殺す凡人』の出版に際して講演したときに、来場者の方から「残念な天才と成功する天才の違いはなんですか?」という質問があったんですよ。そのとき僕は「自分の天才性を表現するための“武器”を磨いているかいないかです」と答えたんです。
かっぴー ああー。
北野 たとえばベートーヴェンやモーツァルトが生きた時代に、もしもピアノがなかったら? みたいな話で、武器を磨いていない、ましてや武器を持たない天才は、世の中に認知されないじゃないですか。つまり、どんな天才でも「それを表現するための武器」は、再現性をもって鍛えないといけない。
かっぴー 本当にそうだと思います。「左ききのエレン」でも、自分の中の天才性を引き出すためには武器を見つけることが先決だ、ということを描いてるんですけど……。一方で、今リメイク版(※ジャンプ+版)でもう一周描いていて思うのは、やっぱり僕は、ルーシーとか光一が好きだなあって。
北野 ルーシーって、エレンの影武者をやってた子ですよね。なんで好きなんですか?
(「左ききのエレン」30話より、ルーシーの初登場シーン)
かっぴー ルーシーは何カ国語も喋れてコミュ力もあるから、たぶん、人と人の間に入る仕事にすごく向いているんですね。おまけにパルクールもやってるし、情報屋でもあるし、なんかいろいろとできる子なんです。いわば才能の種を豊富に持っているんですけど、それとはまったく関係ない映画監督になるんですよね。なにが言いたいのかというと、自分のやりたいことと、自分に向いてることって、必ずしも一致しないじゃないですか。
北野 はいはい。一致している人がおそらく一番幸せなんですよね。
かっぴー そうそう。で、やりたいこととは違っていても、“向いてること”を突き詰めたら、その分野で天才になれるかもしれない。それも一つの幸せのあり方ですよね。でもそうじゃなくて、あくまで“やりたいこと”をやっているのがルーシーなんです。だからかっこいいなあと思って。
北野 なるほど、面白い。じゃあ光一が好きな理由は?
左:北野唯我さん 右:かっぴーさん
かっぴー 光一はね、全部を受け入れるんですよね。あんまり人を否定しない。だから、人としては嫌いなのに、才能のある柳でさえ認めてしまう。その結果、柳の色に染まってスレちゃうんですけど。そうやって全部受け入れた末に自分を見つけるというか……。結局、光一を通して描きたかったものって、めちゃくちゃ他人に影響を受けて、他人の価値観で生きてきた人間の姿なんですよ。でも、そもそも他人の影響を受けていない人間なんていないですよね。エレンでさえ影響を受けていて。
北野 そうですよね。
かっぴー だから、この物語を通して最も皮肉な関係が、光一とエレンなんです。光一はいろんな人に影響を受けまくって、ブレまくって迷走しまくっているんだけど、肝心のエレンは、本当にいろんな偶然が重なった結果、そんな光一の影響を一番強く受けてるんですよね。
天才には、出会わない方が幸せか?
北野 光一は、エレンと出会えて幸せだったんですかね? 連載初期のころ、光一は「流川さんは…オレだ」「エレンと出会えなかったオレだ」と言っていましたけど。
(「左ききのエレン」10話より)
かっぴー ああ、そうですね。
北野 これって難しい問題じゃないですか。「井の中の蛙」最高説というか、「地元のマイルドヤンキーが一番幸せ」説みたいな。要は、光一は高校生のときに、エレンという自分とは次元の違う才能と出会ってしまった。ゆえに、その後の人生がある意味で狂ってしまう。
かっぴー まず、エレンがいなかった世界線における光一というのは、実は描いているんです。それが、「私は凡である」と言い放った古屋局長です。より厳密にいうと、古谷局長はさゆりと付き合い続けた光一の未来の姿なんですよ。
(「左ききのエレン」41話より、古谷局長)
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