「出川イングリッシュ」の誕生
「ドゥユーノー スカイママ?」
アメリカ人に対して堂々と真正面から尋ねていく出川哲朗。彼が聞きたいのは「空母」のこと。だが、「空母」を英語で何と言っていいかわからない。だから直訳して「スカイママ」だ。
「メニメニ ママ オン ザ ボート」とか言ってみたりする。ボートの上のたくさんのママ。もちろんアメリカ人にはまったく通じない。困惑するアメリカ人に向かって出川は「ドゥユーノー イングリッシュ?」などと聞いてしまう始末。
いざ、アメリカ人に「空母」の英語が「エアークラフトキャリア」だと聞き出しても、リスニング力が致命的に低い出川は「エレクトリックキャリア」と思い込む。さらに記憶力も悪いからいつの間にか「エレキテルキャビア」になってしまうのだ。
「自由の女神」を「フリーウーマン」、刑務所を「メニメニ バッドマン スリーピングハウス」、「宇宙食」に至ってはなぜか「アースフード」と言う。
そんなメチャクチャな英語力でも出川が一生懸命に伝えたいと話しかけると、アメリカ人は放っておけなくなって何とか彼が何を聞こうとしているのかを探り、導いてくれる。文法なんていらない。最終的にはなぜか通じ、出川は出されたミッションの答えを出してしまうのだ。
これが『世界の果てまでイッテQ』(日本テレビ)「出川哲朗のはじめておつかい」で生まれた「出川イングリッシュ」だ。
俺に5年の時間をくれ!
いまや日本を代表するリアクション芸人の出川哲朗だが、もともとは俳優志望だった。当時、横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)に入学。その卒業式で出川は「少々のお時間をください」とスピーチを始めたという。
「俺に5年の時間をくれ! 頭出したる、俺に10年の時間をくれ! 有名になったる、俺に20年の時間をくれ! 頂点とったる、まあ見とけや!」【※1】
出川は座長としてウッチャンナンチャンら同級生と「劇団SHA・LA・LA」を結成。だが俳優として芽が出ることはなかった。そんな中、ウッチャンナンチャンがお笑い芸人としてブレイク。プライベートで彼らとジェットコースターに乗ったときの怖がったリアクションが面白かったため、それを番組で再現させた。それがリアクション芸人・出川の誕生だった。
ちょうど、「頭出したる」と宣言した卒業後5年が経った頃だった。そして『お笑いウルトラクイズ』(日本テレビ)などで活躍し大ブレイク。同番組で“主役”を張ったのが卒業10年後のことだった。その回の放送で出川は「一生リアクション」宣言をしたのだ。
首の骨以外の全部の骨を折ってきた
頂点を獲ると宣言した20年後、女性雑誌『an・an』の「抱かれたくない男」ランキングではダントツの得票数を集め、ついには殿堂入りに。果ては「砂に埋めたい男」1位にもなった. 出てくるだけで「ギャー」と悲鳴があがる、いわば「嫌いな男」の代名詞。それでも良かった。
目指す夢の頂点の方向は、芸人たち同士の深い愛情を知ることで、大きく変わっていった。けれど出川はリアクション芸人として間違いなく“頂点”を獲ったのだ。
だが、出川が思い描いた未来予想図の先の30年後には、思わぬ転換が待っていた。
いまや子供や女性にゆるキャラのように大人気。ある小学校の卒業文集の「尊敬する人」の欄には織田信長や坂本龍馬ら歴史上の偉人と並んで出川哲朗が挙げられ、「夢をかなえる」という番組では女子高生が出川に会うのが夢だと言う。実際出川が会いに行くとたくさんの女子高生たちが「キャー」と感激で号泣してしまうほどだ。
10年前と仕事の内容はまったく変わっていないにもかかわらず、好感度は劇的に変化したのだ。
「首の骨以外の全部の骨を折ってきたから、いまここに座ってる訳ですから!」【※2】
10億円積まれても断る
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