紙の本の牙城を守る男・芹澤編集長との交渉に臨む枝折!

【第29回】
漣野たちの助言もあって、ようやく売り上げが伸びてきた電子書籍専売のBスタイル文庫。電子書籍を認めない文芸書の編集長・芹澤に、Bスタイル文庫の書籍化を認めさせるべく、直談判に臨む枝折。果たして、電子書籍編集部の悲願は叶うのか?

文学少女が編集者として一人立ちしていく姿を追いながら、変貌する出版界の明日を占うお仕事小説!

◆王への反逆

 その日、枝折(しおり)は芹澤(せりざわ)と打ち合わせの約束をした。岩田(いわた)も同席しようとしたが、自分一人でやると押しとどめた。

 これは、電子書籍編集部の戦いであるとともに、枝折自身の戦いでもあった。入社直後に会った際、いいように手玉に取られた。その時の自分の敵討ちでもある。芹澤との話し合いは、過去の自分を乗り越えるための壁だと、枝折は考えていた。

 本館二階、文芸編集部の会議室。教えを請う新入社員ではなく、他部署のトップに挑む若手社員として、今日は椅子に座っている。

 文芸編集部の終業時刻になった。扉が開き、芹澤が入ってきた。

「すまない、待たせたね」

 前回と同じように、顔には笑みをたたえている。手には本の山を抱えている。

 太ったな。芹澤の顔には贅肉がついていた。ストレスからの過食なのかもしれない。

 この数ヶ月は芹澤にとって、かつてないほどの逆境だっただろう。漣野(れんの)というダビデが放った石は、芹澤というゴリアテの額にめり込んだ。漣野自身も傷ついたが、芹澤も同じように痛みを経験した。

「春日(かすが)くん。Bスタイル文庫、伸びているそうじゃないか」

 思いもかけず、親しげな声をかけられて、枝折は一瞬戸惑った。

「はい、第二弾、第三弾と回を重ねるごとに増えています。その勢いに押されて、過去に遡って販売数が増加しています」

 枝折の言葉を、芹澤はにこやかな顔で聞いた。これは、いけるかもしれない。枝折は、想像していたよりも高く、自分が評価されているという実感を持つ。Bスタイル文庫の書籍化という難題を、聞き入れてくれるのではないかと期待する。

「芹澤編集長。今日は、お願いがあり、お時間をいただきました。Bスタイル文庫から、売れているものをいくつかピックアップして、書籍化していただければと考えています。社内的に売り上げを最大化する。そのためには、社内の全てのチャネルを利用して、読者に作品を届けるべきだと思います」

「なるほど。電子書籍編集部としては正しい考えだろうね。そして君たちの悲願でもある。電子発で、紙に波及したヒット作。そうした作品を作りたいというのは、岩田が前から言っていたことだ。
 ただ、無理なんじゃないかな今回のケースは。噂で聞いたところによると、Bスタイル文庫の作品は、電子に特化した作りになっているんだろう。紙の世界でまともに読める代物ではない。そのまま印刷するわけにはいかない。
 土台、電子と紙は別物だからね。電子は紙の劣化版。劣化した状態に合わせたものを、元の状態の紙に持ってくるのは無謀だと僕は思うよ」

 枝折は言葉を飲み込む。芹澤は、紙こそ本の王道であり、電子はまがい物だと言っている。その考えを突き崩さなければ、電子の本から紙の本への移植に、首を縦に振らないだろう。

 芹澤を攻略するには、まずは電子専売で作った本を、読んでもらう必要がある。紙の本しか読まない芹澤に、電子書籍を体験させなければならない。

「芹澤編集長。私たちの仕事は、売れるものを送り出すだけではないですよね」

 投げかけた言葉に、芹澤は眉をわずかに動かした。

「お金を稼ぐだけなら、出版事業をおこなう必要はありません。それこそ、この会社が持っている土地を活用して、不動産事業でも営む方が効率がよいです。本を作り、世に送り出すという行為は、決して効率のよい儲けの手段ではありません」

 芹澤は、右手の人差し指を、猛禽類の爪のように立てて、机の上に置く。戦闘態勢。芹澤の手は、枝折を敵として認識し、攻撃の準備をしているように見えた。

 枝折は一呼吸置き、ひるむことなく言葉を続ける。

「それでも、私たちが本を作り、送り出しているのは、なぜでしょうか。お金を得るとともに、自分がよいと思うものを読者に届けるためです。
 作者がいる。作品がある。それを読みたいと思う読者がいる。その橋渡しをするために、ビジネスとして成立する枠組みを作る。それが、私たちの仕事ではないでしょうか。
 私たちが扱う商品は本です。その内容を、売れるものに寄せるのも一つの仕事です。それと同じように、売る算段を立てるのも仕事のはずです。
 芹澤編集長は、今目の前に作品があるのに読もうともせず、紙の本にはならないと決めつけています。凝り固まった思考で、触れもせず拒絶しています。それは、怠慢ではないでしょうか」

 芹澤の眉間に皺が寄る。右手の人差し指は。机を引っかくように力が込められている。怒りが自分に向けられている。枝折は勇気を振り絞り、話を続ける。

「芹澤編集長の丸バツの段ボール箱は、自分の仕事に重みを持たせるためのパフォーマンスなんですか。それとも紙の重みで、自分を安心させているんですか。
 芹澤編集長は、自身を本の目利きだと考えています。しかし、本当の目利きではありません。自分がまだ見ぬ世界に触れるのを怖がっている、紙の本の世界に閉じこもっている臆病な王様です。
 書く気がある、伝えたいことがある、そうした人が書いた作品がある。その原稿に、編集者が価値があると思った。読者もお金を払って支持した。その作品を読まないんですか。どこまで逃げるつもりですか」

 爪で机を引っかく音が部屋に響いた。芹澤の顔が怒りで歪んでいる。
 枝折は、自分の行為に、いまさらながら恐れを抱く。

 しかし芹澤に、Bスタイル文庫をスマートフォンで読んでもらわなければ、先に進めない。そうしなければこれから先、どれだけ電子書籍でヒットを出しても、紙の本に波及させることはできないだろう。

「Bスタイル文庫の作品を読んでください。それも印刷するのではなく、スマートフォンでお願いします。その上で、紙の本に向けてリライトする。そうした話ができればと思います」

 全身全霊をかけて枝折は言った。

—岩田の指示か」

 しぼり出すような声を芹澤は出した。

「違います。私自身の考えで、芹澤編集長にお願いに来ました。だから岩田さんの同席は断りました」

「そうか。岩田はどんな様子だった」

「芹澤編集長と対決するなら、俺も連れて行けと興奮していました。だから、必死になだめて四階に置いてきました」

「編集長を、犬のようになだめて置いてきたか。とんだ新人もいたものだ」

 ツボに入ったのだろうか、芹澤はおかしそうに忍び笑いをした。眼鏡の奥の目に、涙がにじんでいる。彼は、愉快そうに体を揺すった。

 ひとしきり笑い声を漏らしたあと、芹澤は眼鏡を上げて、手の甲で涙を拭った。

「僕に正面切って、こんなことを言った馬鹿は、岩田以外、君が初めてだよ」

「すみません、馬鹿で」

 開き直って枝折は言う。

 芹澤は眼鏡を戻したあと横を向いた。なにか考えているようだ。芹澤は、そのまましばらく無言で過ごした。

「新しい舞台があるのなら、書く意味があるだろうが—」

 苦々しげな口調だ。誰に対して言っているのか分からなかった。芹澤は、悔しそうに目を細めている。

—売れるか売れないかの基準で読む。今の僕には、そうした視点しかない。そしてリライトするなら、こちらで担当をつける。君たちは、あくまでも電子の編集だ。紙の編集ではない。紙には紙の流儀がある」

「分かりました」

 枝折は、芹澤がスマートフォンを持っているか聞く。持っていなかったので、持参した電子書籍編集部の端末を、充電ケーブルとともに渡した。

 簡単な使い方を説明したあと、きちんと読めるか横から観察する。

「読み辛いな」

 芹澤は、苦々しげに言う。

「はい。しかし利便性から、もう電子でしか本を読まないという人たちが、多く出てきています」

 枝折は、自分とは違う価値観の人たちの行動様式を説明する。

「これは難物だな。進化の途上にあるものだ。紙の本の完成度とはほど遠い。これじゃあ拷問だ。電子端末は、もっと進化してくれないと困るよ」

 芹澤は、辟易とした様子だ。

「私もそう思います。私も紙の本の方が好きです。しかし、時代が電子の本に向かうなら、より読者にとって望ましい状態になるように、私たち自身が積極的に関わっていく必要があると思います」

 芹澤は、スマートフォンの画面を消して、充電ケーブルごとポケットに放り込む。

「読んでおくよ。多少時間はかかるだろうがね」

「よろしくお願いします」

 枝折は頭を下げる。

 芹澤は立ち上がり、本の山を取り上げた。そして、その中から一冊を取って、枝折に手渡してきた。

「この本を君にあげよう」

 前回のことがある。また、ちくりと攻撃を仕掛けてくるかもしれない。枝折は警戒しながら、本の表紙を確かめる。

 新しい本ではなかった。十年以上前の本に見える。知らないタイトルの本だった。著者名を見る。山脇達彦と名前がある。

「最近の本ではないんですね」

「ああ。古い本だ。僕が編集者時代に、当時の編集長に命じられて引導を渡した。君ならどう売るか教えて欲しい」

 芹澤の表情は、これまで見た中で一番穏やかだった。


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この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


次回「〈紙の本〉は本の最終形にあらず。書籍の音声化の可能性に触れる枝折」は4月20日更新予定。

◎著者の柳井政和さんとReader Storeとhontoの電子書店員のガチ座談会が公開されました。 近未来の本のあり方を巡って、いろいろな話題で盛り上がりました。

第1回 10年後には紙の本ってなくなるの? ──『#電書ハック』配信記念#1 https://books.bunshun.jp/articles/-/4684
第2回 〈本が売れない時代〉の作家デビュー ──『#電書ハック』配信記念#2
https://books.bunshun.jp/articles/-/4685
第3回 AIに小説が書けるのか? ──『#電書ハック』配信記#3
https://books.bunshun.jp/articles/-/4684

◎文春BOOKSに『#電書ハック』の書評が掲載されました。筆者は大矢博子さん。
「〈電子書籍の可能性を広げる実験小説〉にみんな参加しよう!」
https://books.bunshun.jp/articles/-/4684

この連載について

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#電書ハック

柳井政和

小説が好きで出版社に就職した春日枝折だったが、配属されたのは電子書籍編集部。 紙の本から戦力外通告を受けた老作家、ネット民には刺さる準引きこもり作家、紙の本には目もくれないデジタル電子書店員たちとの出会いに戸惑う枝折。 やがて作家たち...もっと読む

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