株式公開はゴールではない
アニメーション事業の可能性は把握できた。
と言っても、独立系のアニメーション映画会社が事業として成立するという資料を作ることはできるかもしれないが、ピクサーの場合、利益の大半がディズニーの懐に入る契約に何年も縛られてしまう問題がある。その上に、持越費用の問題だ。
多角化せずアニメーションのみで投資家と渡り合うのはすごく難しいだろうと思う。
どうせ無理だと一蹴されるのが落ちだ。
新しい会社がハリウッドに参入し、ディズニーに匹敵するアニメーション映画スタジオに成長するなど夢物語にすぎない。
何十年もどこもなし得ていないわけだし、ディズニーは大昔に多角化を実現しているのだから。
だが、スティーブからの圧力は高まる一方で、いつ株式を公開できるのかとせっついてくる。
まるで、それが最終的な詰めである、株式さえ公開できればすべてうまく行くと考えているんじゃないかと思えるほどだ。
私の考えは違う。株式を公開すれば、すさまじい圧力がピクサーにのし掛かってくるだろう。
小さなミスまでウの目タカの目で探されることになる。少しでもやり損なえば、やいのやいのと騒がれるはずだ。事態は好転するかもしれないが、裏目に出る可能性も高いのだ。
エンターテイメントの会社としてやっていくしかない
それに、エンターテイメントの会社という旗をいったん掲げたら、後戻りできない道を進むことになる。
レンダーマンソフトウェアの販売をやめる、コマーシャルグループを廃止する、ウォールストリートをはじめとする世界に対し我々はエンターテイメントの会社だと発表する、映画の制作に資源を集中するなどの施策を進めることになるのだ。
この道を進みはじめたら後戻りはできない。
やりなおしなどできない。
だから、資金的にも戦略的にも、精神的にも、万全を期す必要がある。
『トイ・ストーリー』完成にむけてすさまじい圧力がかかっている状態で、それが可能だとはとても思えない。
それでも、あらゆる角度から検討は行った。
アニメーション映画専業のエンターテイメント会社となる以外、道はないからだ。
スティーブもエドも私もそう思っていた。
道がどれほど険しくても、山頂がどれほど遠くても、この山を登るしかない。重い気持ちをひきずり、登り始める以外にないのだ。
第7章 ピクサーの文化を守る
ピクサーへの通勤は思っていた以上に大変だった。
ポイントリッチモンドに向かう580号線が分かれるところからベイブリッジにかけてのインターステート80号線、バークレーを東に見ながら走るこの部分は、サンフランスシスコ近郊でも交通渋滞が特にひどい場所である。
いや、全国的に見ても最悪クラスかもしれない。通勤の車に仕事の車、観光客の車が山のようにベイブリッジを通るため、何キロメートルも渋滞するのだ。通勤に要する時間は短くて1時間15分、長いと2時間近くに達する。
渋滞でじっと車に座り、私は、このあたり、コンクリートに覆われる前はどういう風景だったのだろうと思いをはせることが多かった。
壮観、だったんじゃないだろうか。このあたりはとても美しく、肥沃で、それを初めて目にした人々はなにを思ったのだろうか。
インターステート80号線の東には、草木に覆われた高台が何キロにもわたって緩やかに上下しているのが見える。
とても美しく、気候も温和なバークレーヒルズだ。西に目を転じると、ふたつの半島に囲まれたサンフランシスコ湾が広がっている。北側の半島は先端にサウトリートやゴールデンゲート国立保養地があり、南側はサンフランシスコである。
シリコンバレー以前のサンフランシスコはどんな地だったのか
サンフランシスコ湾は、ふたつの半島に挟まれた水道で太平洋に通じている。この水道は水温が低く荒れていることが多い。ここを渡る手段は、60年ほど前からはゴールデンゲートブリッジで、その前は船だった。
高等教育やイノベーションの地となる前、このあたりの暮らしはどんな感じだったのだろうか。
ここには、数千年前からオローニ族が住んでいた。サンフランシスコ湾沿岸部に集落を作り、手作りのカヌーで浅瀬を移動したり魚を捕ったり、春には内陸に移動して植物や木の実など食べられる
ものを採集したりして暮らしていた種族である。この地域は自然の恵みに満ちていた。
広い草原には樹木が点在し、エルクやプロングホーンの群れが草を食んでいる。
頭上にはハクトウワシが舞い、湿地や海の生物も豊富にいた。
ピクサーと同じように、オローニもストーリーを大事にしていた。
男は、毎日、朝日に祈りを捧げ、女は声をそろえて歌いながら木の実をひき、美しいカゴを編んでいたし、神話や伝承が多く、霊的なことを大事にしてまじないなどの儀式をよくしていた〈1〉。
最近、すごく便利になったのはたしかだが、オローニのころのほうがよかったのではないかと思うことも多い。
どうしてIBMはアップルになれなかったのか
この200年でたくさんのものがこの地上から消えた。オローニが住んでいた2000年間よりずっと多くのものが。
そして、その結果、ある意味とても豊かだった暮らし方ができなくなってしまった。いま、前車のブレーキランプが消え、じりっと前に進めるようになるのを車の中でじっと待っている我々は、昔より暮らしがよくなったと言えるのだろうか。
オローニ族が激減したあと、このあたりではスタートアップが次々に興り、技術革新の震源地となった。
2000年もの長きにわたって文化を育んできた伝統が消え、イノベーションが暴力的なペースで進むようになった。
イノベーションこそが未来をもたらすものとされ、どこにどう住むのか、なにするのか、なにを考えるのかまでが根本的に変わった。そして、変化のスピードについていけない会社は、過去の遺物となった。
シリコンバレーなどというものがどうして生まれたのだろう。
私は、昔から不思議に思っていた。新興企業の仕事をするたび、スタートアップが自分たちの市場を食い荒らすのを、資源が潤沢で経験豊かな経営陣がそろっている大企業が指をくわえて見ているのはなぜなのだろうと思ってしまうのだ。
コンピューターの世界を何十年も牛耳ってきたIBMや、グラフィカルユーザーインターフェースを発明したゼロックスがみずからマイクロソフトやアップルにならなかったのはなぜなのか。
文化なしでイノベーションは生まれない
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