ピクサーの事業や戦略は、スティーブとの議論から生まれた
スティーブとは、いつもだいたいこんな感じのやりとりだった。
大きな問題でも小さな問題でも、スティーブは激しい議論を展開する。議論は同意できる場合もあれば同意できない場合もある。
同意できない場合、私は、彼が激しいから譲歩するのではなく、あくまで事態の打開に資するから譲歩という姿勢で臨む。
スティーブも、自分の考えを押しつけるより、議論で互いに納得できる結論を出し、ともに歩むほうを好んだ。
ピクサーにおける事業や戦略は、彼が選んだものでも私が選んだものでもなく、こういうやり方で得た結果だと思うと、何年もあとにスティーブからも言われている。
次に手を付けたのはコマーシャルアニメーションのグループだった。
数人の小さなチームで、彼らは、廊下の端っこにある小さなスペースで仕事をしていた。
評価は高くても利益が出ないコマーシャルアニメーション
彼らがピクサーのツールで生みだすコマーシャル用アニメーションは高く評価されていた。
キャンディのライフセーバーやマウスウォッシュのリステリンで広告界最高峰のクリオ賞を獲得していたし、クッキーのチップスアホイでは、チョコレートチップクッキーが踊る一連の広告が注目を集めていた。
グループを率いるのは、まじめな若手プロデューサー、ダーラ・アンダーソンだ。いつもにこにこと人当たりがいいが、頭の回転は速く、混乱のさなかでもすべてを把握しているイメージがある。
その彼女が、浮き沈みの激しいコマーシャル用アニメーション制作について詳しく語ってくれた。仕事は散発的でいつあるかわからないし、予算はいつもありえないほど厳しい。30秒のアニメーションでも、3人から4人のチームで3カ月もかかるし、12万5000ドルほども費用がかかる。
利益などごくわずか、ほぼとんとんのレベルでこの数字なのだ。見積りをまちがえたり想定外の問題が起きたりすれば、儲けなど吹っ飛んでしまう。
「この業界は、どこも、ぎりぎりでやっています。実際問題として赤字のところが多いのです。
ピクサーは高く評価されているし作品も気に入ってもらっているので信頼はされていますが、高いという問題があります。アニメーションは最高だけれど、値段が高すぎて受注できないことが多いのです」
つまり、価格の引き上げも受注量の増大もちょっと考えられない。残念なことだとダーラはため息をつく。
成長戦略としては袋小路
「いい仕事をしているんですけどね。みな、全身全霊を仕事に傾けています。でも、その品質が認められるとはかぎらないのです」
コマーシャルアニメーションの売上は小さく、利益はないに等しい。収支にはっきり貢献するには、事業規模も相当に拡大しなければならないし、収益性も大きく高めなければならない。
だが、話を聞いたかぎりでは、いずれも無理だとしか思えない。
ここでも、将来性のない事業に人材を投入しているわけだ。おかげで才能ある人々が忙しく働くことはできているが、会社の成長戦略としては、コマーシャルアニメーションも袋小路である。
レンダーマンもコマーシャルアニメーションもだめとなると、成長を実現できる選択肢はかなり限られてしまう。心配だ。
次は短編アニメーションをチェックした。
短編アニメーションはいくつもの賞を受けるなどとても好評で、ピクサーを有名にした主因のひとつである。すばらしい、創造性という面でも技術面でも画期的だとグラフィックス業界でも映画業界でも高く評価されており、コンピューターアニメーションというエンターテイメントの分野を拓いたと言われている。
短編アニメーションはお金にならない
1作目は1986年制作の『ルクソーJr.』である。私は、会社を見学に来てエドと会った際に見せてもらった。
『ルクソーJr.』は大きなランプと小さなランプの物語を描いた2分の短編で、ボールで楽しく遊んでいた小さなランプが、うっかり、ボールをしぼませてしまう。
これを見ると、コンピューターアニメーションで動く2台のランプがはしゃぎすぎておもちゃを壊してしまう子どもとそれを見守る親なのだとすぐにわかる。ちょっとした失敗を乗りこえる親子の世界に引き込まれるのだ。
この短編は、アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞にノミネートされた。
エドはこう語ってくれた。
「コンピューターアニメーションでストーリーやキャラクター、感動を伝えられると初めて示せたのが『ルクソーJr.』です。ピクサーにとっても、映画業界にとっても大きなブレークスルーで、あちこちで見せるたびに驚かれました」
『ルクソーJr.』を皮切りに、1987年には『レッズ・ドリーム』、1988年には『ティン・トイ』、1989年には『ニックナック』とピクサーは短編アニメーションを次々に発表し、好評を博した。
なかでも『ティン・トイ』は、アカデミー賞の最優秀短編アニメーション賞に輝いた逸品である。
だが、問題がひとつだけあった。
お金にならないのだ。短編アニメーションは愛情から制作されるか、ピクサーのように、技術や物語構築のプロセスを試し、開発するために制作されるものだからだ。
展示会や映画祭で上映されたり、場合によっては映画館で本編の前に上映されたりするが、お金は一銭も入らない。なのに制作費はすさまじくかさむ。経済性を分析するまでもない。市場そのものがないのだ。
才能も努力もあるのに、将来性がない
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