性同一性障害を救った医師の物語⑱
終章 燃え尽きて
天命
常に僕は完全であろうと藻搔き、全てを瓦解させてしまった。(和田耕治、昭和五〇年頃、予備校時代のノートより)
耕治は精神科医の権威の方々とも知己となり、これからのGIDやSRS治療の向上へ向けて、外科と精神科との架け橋的な存在となるべく奮闘していきたかったのだが、それにもかかわらず、もはや賠償金返済のためだけのような多忙なスケジュールが容赦なく畳み掛けてくる現実があり、ストレスと不眠が続いていくのであった。
自分を見失いかけ、憔悴しきっていた矢先、さらなる絶望が耕治を襲う。 母、綾子が他界した。癌であったが、耕治がお金の大半を出して最新施設の快適な病院へ入院させていたという。姉から、苦しまずに亡くなったと聞いて安堵した。母の葬儀の時は久しぶりにみんなと再会したが、母を失った悲しみもさることながら、耕治の憔悴しきった様子は、 親族、兄弟の誰が見ても一目瞭然だった。人目もはばからず耕治は泣いていた。
母親には少年時代は迷惑をかけたが、大人になってからは母親こそは心のよりどころなのだと改めて実感し、連絡も頻繁に入れるようになった。もう何年も前のことであるが、温泉好きの母が心臓の手術痕を他人に見られたくないと、大好きだった温泉に行かなくなっていた。耕治はその痕を形成外科で培った技術で、ほとんどわからないように綺麗にしてあげた。
母のうれしそうによろこぶ顔を見て、耕治はようやく親孝行できている自分が誇らしくもあった。お小遣いもあげた。両親には郷里の熊本に家をプレゼントしている。新婚時代を過ごした奄美大島へ、母が常々行きたいと言っていたので旅行もプレゼントした。まだまだできることはしてあげたい。いつも励ましてくれたから。 でも、もうそんな母はいない。
見渡すかぎりの闇ー。
やがて一筋の光の道の先から、母、綾子の呼ぶ声がかすかに聞こえてきた。 「耕治、ようがんばったね……」 母の笑顔は、あたたかかった。こんなふうに思ったのはいつ以来のことだろう。母のほほえみが、ゆるやかに、やわらかに視界いっぱいに引き伸ばされてゆく。やがて光となり、耕治をあたたかくつつみこんでいったー。
ある朝、看護師が診察室で倒れている耕治を発見する。 母の死からわずか三ヶ月後のことであった。 二〇〇七年五月二二日逝去。五三歳の若さであった。 彼が生涯に手掛けた性転換手術は、六〇〇例以上に達していた。 医院の入居するビルの管理室に、ニューハーフたちの花束が途切れることはなかった。
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