いよいよ物語が大きく動く!角田光代訳『源氏物語』中巻発売!

千年の時を超えた「物語る」力──角田光代×池澤夏樹スペシャル対談②

「最後まで楽しんで読めた!」と絶賛の角田光代訳『源氏物語』。 2018年11月に刊行された『源氏物語 中』は、「日本文学全集」編者・池澤夏樹さんに、 “この中巻の「若菜」(上・下)のために『源氏物語』がある”と言わしめるほど、小説としての完成度が高く、読み応えのある巻です。中巻を刊行して久しぶりに再会したおふたりのスペシャル対談を2回にわたってお送りいたします。


池澤 先ほど夢の話が出ましたが、昔の人はよく夢を見ますね。夢は超越的なものからのメッセージだと受け取って、それで一喜一憂する。明石の入道が、娘・明石の君と光源氏を強引に近づけます。彼の思惑どおり、二人は一緒になって、二人の間に生まれた姫君がやがて天皇の后になる。このときになって初めて、作者は手紙という形で背景を明かすんですね。明石の入道がそれほど強引になれたのは、実は夢を見たからだった、と。この伏線の張り方は見事です。
 二十世紀になって僕たちはつい、人間の行動原理をフロイトなどに求めて、まことしやかに説明したがる。けれど本当は、人間の外から来るものが行動を決めたり教えたりしているのかもしれない。そのことを、古代の人たちは夢を使って考えていたのでしょう。
 「味噌買橋」という民話があります。沢田という村の長吉が夢を見て、飛驒高山の味噌屋の前にある“味噌買橋”のたもとに立つようにと、仙人から告げられた。長吉が味噌買橋に毎日立っていると、数日後、味噌屋の主人が「そこで何をしているのか」と長吉にたずねる。事情を聞いた主人は「夢なんか信じて愚かなことだ。わしの夢に仙人が現れて、沢田の村の長吉の家の裏に立つ松の根元を掘れと言ったが、沢田なんて村は知らないし、そんな馬鹿げた夢なんて信じない」と言う。長吉は「はい」と返事して、急いで村に帰った。長吉は大金持ちになりました。これは二段階の夢なんですね。夢を信じる者のほうが、いい思いをさせてもらえるのかもしれない。この話、イギリスにもあるんですよ、「スワファムの行商人」と言って。夢ってだれでも信じたくなるでしょう。だって、とてもくっきり見えるんだもの。そういうガジェットが『源氏』にはたくさん詰まっている。

角田 明石の入道の夢の話は、「若紫」でも伏線を張っているんです。明石のほうにお姫様がいるらしい、父親がプライドの高い人で、つまらない結婚をするくらいなら海に入って死んだほうがましだくらい言われているらしい、と。ほんの数行だけですが、そんな噂話をさせているんです。その後、「須磨」「明石」があって、「若菜 上」で夢が明かされる。『源氏』を原稿用紙四千枚の長篇小説と考えると、最初の伏線が三十枚目、次が二百五十枚目、最後に二千枚目くらいです。作者はよく忘れずに種を蒔いておいたなと感心します。


すべての人を同時に運ぶ


池澤 どこまで先を構想していたんでしょうね。そもそも、どうしてこんなに長く書けたんだろうか。「宇治十帖」は別として、『源氏』上中巻だけに絞っても、書いて書いて、それが止まらなかったわけでしょう。そのなかで構想が広がって、登場人物が次々に増えて、人間関係が織りなされて、大きなタペストリーになっていく。それが紫式部一人の頭から出てきて、どこかの段階でおさめようともせず、光源氏という男と最後まで付き合おうとする。光源氏の一代記にしながらも、彼だけの話にまとめずに拡張を重ねる。

角田 紫式部には同時に物語を運んでいく力がありますよね。長篇小説を書いていると、中心人物が過ごす時間だけに目がいってしまって、脇にいる人たちにも同じだけの時間が流れているはずなのに、置いていってしまう人が出てくるものです。でも『源氏』は、すべての人が同時に年を取っていき、同時に世代が代わって、同時に子どもたちが活躍しはじめる。全体の目の配り方がすばらしいです。
 私は上巻を訳していたとき、まだ思い悩むところがあって、物語になかなか入っていけなかったんです。でも、上巻の最後の「少女」で初めて泣きました。幼い雲居雁と夕霧が、たがいに想い合っているのに引き離されてしまう。可哀想で可哀想で、ぼろぼろ泣きながら訳して、ようやく二人が結ばれたときに私は『源氏』と一体になれたと思ったんですよ。ところが中巻になって、夕霧がこぼしますよね。子どもを生んだ雲居雁が家で乳房を出して奥ゆかしさがないとか、家がごちゃごちゃ散らかっていて嫌だとか、私は泣きながら応援したのに、作者はなんてことをしてくれるんだと驚きました。でも、現代的ですよね。夫が会社から帰ると、家が散らかっていて、妻はぼさぼさの髪でパジャマ姿で寝ている。そんなとき、高層マンションに一人暮らししてる女性の家に遊びに行くと、静かで、すっきり片付いていて、きれいにお化粧をしている人が迎えに出てきてくれて、そっちに心変わりしてしまう。いかにもテレビドラマにありそうな話じゃないですか。

池澤 「真木柱」で、髭黒が玉鬘に夢中になって通うようになる。家に帰ると前からの妻がいて、もともと貧相な女だがいよいよ情けない姿になっている。妻をこんなふうにしたのは自分の軽い性格のせいだと思いながらも、また玉鬘の所へ出かけようとする。すると妻がヒステリーを起こして、髭黒に灰神楽を浴びせるんですね。あの修羅場はすごいですね。今だったらヒステリーだけど、当時は物の怪憑きということで、加持祈禱が始まってドタバタ劇が始まります。この二人は結局別れてしまって、それもまるで今の話みたい。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

恋と苦悩、密通の因果応報を描く、最高傑作の巻!

この連載について

初回を読む
いよいよ物語が大きく動く!角田光代訳『源氏物語』中巻発売!

「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」編集部

発売以来、話題騒然!角田光代による新訳『源氏物語』。 『八日目の蟬』など数多くのベストセラー作を生み出してきた角田さんが“長編小説断ち”宣言をしてまで、現代語訳を引き受けた理由、実際に訳しはじめてからの苦労や「源氏物語」の魅力...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

consaba 角田光代+池澤夏樹「女はただ黙っているだけではない。女性の感情は一つではない。それが上巻に書かれていて、私はとても感心したんです。中巻に入ってからはさらにはっきりと、女性には意思があるんだということが書かれていて」 https://t.co/RpEHGsUzPX 1年以上前 replyretweetfavorite