翻訳とマラソンと登山
池澤 待ち望んでいた角田訳『源氏物語 中』が出ました。まず、今のご心境を伺わせてください。
角田 本当に翻訳が終わらないんですよね。やる気はあるんですけど、やってもやっても終わらないので、長いなと思いながら今も下巻を訳しています。私の訳が終わらないと、この「日本文学全集」も終わらないので、申し訳ない気持ちもあります。
池澤 大仕事をお願いをしているのはこちらもわかっていますから、ご自分のペースで進めてください。
角田 ありがとうございます。
池澤 僕は今朝、沖縄から帰ってきたんです。(会場に向かって)沖縄には僕と角田さんとの共通の知人がいましてね。角田さんが十二月に那覇マラソンに行かれると聞きました。四二・一九五キロとは大変な距離だけれど、マラソンを走る持続力と『源氏』の現代語訳は何か関係がありますか?
角田 私は四十歳からマラソンを始めたせいか、ちまたで言われるような体力と書くことの関係性が、感覚としてわからないんです。池澤さんは山に登りますよね。
池澤 昔はよく登りました。今は少しだけです。登山と翻訳は単純明快さが似ています。最初にとても迷うんです。文体をどうするか。注釈をどうするか。そういった基本方針が決まれば、もう迷う余地がない。あとは山と同じで登るだけです。ただし、山は登ったら降りるけど、翻訳は最後まで上り坂ですね。「さあ、この先は楽だぞ」なんてポイントはないでしょう?
角田 はい。私が上巻でいちばん苦労したのは基本姿勢と立ち位置を決めることだったんですけど、それが決まれば、あとは一日どれだけ進められるかだけだ、と思っていました。私はマラソンだけでなくトレラン(*トレイルランニング。舗装されていない山野を走る競技)を始めてしまって、ときどき山を走っているんです。先日も山梨で二十五キロのトレランに出場したんですけど、あまりに道が険しくて、十五キロ地点くらいだったかな。「『源氏』でいえば今はどのあたりだろう」と初めて思ったんですよ。そういう比較ができたのはちょっと良かったですけど、でも翻訳には下りがないと言われて、今静かにショックを受けています。
池澤 翻訳するのはともかく、『源氏』を読むことには下山がありますよ。『源氏』の読書体験は山登りに似ていて、それも富士山みたいな独立峰じゃなくて、ずっと縦走していくんです。麓があって、じわじわと坂を上がっていって、高い所を登ったり降りたりして、最後にまたゆっくりと斜面を下りていく。その緩急も読者は楽しんでいただきたいですね。
平等におしゃべりする宮中の人たち
池澤 『源氏』の翻訳を始めた頃、自分が『源氏』を訳していいのだろうかという迷いがあったと、角田さんはおっしゃっていました。その迷いはどうやってクリアしましたか?
角田 世の中にはすでに『源氏』の現代語訳がたくさん出ていて、今さら私がやってもしょうがないんじゃないかと思っていました。でも逆に考えると、すばらしい訳を読みたい人はそっちを読めばいいじゃないか、って。私が訳すものは、すでにある現代語訳の隅っこに入れてもらうだけだし、それらを上書きするものではない。だからこそ、すでにある現代語訳とどこか一点でも違うものにしなくては意味がないとも思いました。そこが大きな葛藤になりました。
池澤 そこから、敬語を省くという方針が立ったわけですね。
角田 そうなんです。とにかく勢いよく読み進められるようにと考えて、敬語を抜くという暴挙に出ました。でも結局、そのことに私自身が苦しめられたんです。
池澤 なぜですか?
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