他人から驚きまじりに言われる、すごく勝手な勘違い。人間誰しも、身に覚えがあるはずだ。たとえば「えっ、そんなに大きなお子さんいらしたんですか!?」とか、「あれ、お酒飲めないんですか!?」とか。本人の実像や、鏡を見ながら自分で把握する姿と、他者から見られたときのイメージとは、時に大きく乖離しているものだ。
間違ったイメージによる決めつけから入る会話は、何度も何度も繰り返されるうち、当人のアイデンティティまで揺るがすことがある。「学生時代に何か運動なさってましたよね?」「帰国子女って言ってませんでした?」「あれ、男性に興味ないタイプの方だと……違いましたっけ?」と何百回も訊かれると、だんだん自分でも自分のことをスポーツ万能な洋行帰りのレズビアンと思えてくるから不思議だ。いや、いずれは海外留学などもしてみたいし、もし迫られたら応じてしまう気しかしない女性もたくさんいますけど。運動はしたくない。
そんな中、頻繁に言われるうちになんだか面白く感じてしまったのが、これ。いかにも会話がふくらみそうだと思って必死に水を向けてくる人たちに、不思議としょっちゅう出会すのだけど、まったくご期待に応えることができない。
「岡田さんって、なんか霊感とか強そうですもんね?」
「え? 全然ないんですか霊感? なんか意外ー! ありそうなのにー」
……逆に訊きたいんだけど、それ、どういう意味なの?
*
ここでいう霊感とは、宗教的あるいは芸術的なニュアンスというより、いわゆる「霊能力」のことかと思われる。平たく言うと、目には見えないオバケの気配を感じ取れたり、目には見えない要素に体調を左右されやすかったり、という意味だろう。鏡に我が身を映してみると、「ああ、私にはそうした霊感ってやつが、ほとんどまったく、ないな」とわかる。
もちろん、誰もいない場所に一人でぽつんといて無性に怖くなったり、夜中に金縛りに遭ったりすることはあるが、そんなものは、彼ら勘違いした人々が私に求めている「霊感」体験のうちに入らないだろう。それでも会話をふくらませてやるならば、一緒に育った二歳下の妹は、正真正銘「霊感の強い」子供だった。彼女に比べたら、姉の私など鈍感そのもの、霊感があるうちには入らない、というふうにも考えている。