モーニング娘。の米百俵
2000年代前半の日本社会は、常にこの人の言葉と共にあった。
「古い自民党をぶっ壊す」
2001年に第87代内閣総理大臣に任命された小泉純一郎は、革新的なリーダーを望んでいた国民からの絶大な支持を支えに、そのまま「聖域なき構造改革」と呼ばれる大胆な政治改革に着手する。
かねてより掲げていた郵政事業の民営化、銀行の不良債権処理、そして労働者派遣法などの規制緩和は、国民の生活にも大きく影響を及ぼすものでもあった。小泉首相は2001年、就任後初の所信表明演説でこう語っている。
「今の痛みに耐えて、明日を良くしようとする米百俵の精神こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないか」
〝よりよい明日のために、痛みに耐える〟
それはちょうど同じ時期、『LOVEマシーン』での大ブレイクから数年が経過しようとしていた当時のモーニング娘。の状況にも大きく重なる部分があった。累計98万枚を売り上げた2000年の『恋愛レボリューション21』を最後に、シングル売上は下降線をたどり始めていた。2001年10月の『Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~』は約51万枚、2002年10月の『ここにいるぜぇ!』は約22万枚にまで落ちている。
そしてそんな時期のモーニング娘。の中で、もっとも〝痛み〟に耐えていたのは、2001年に5期メンバーとして加入した高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙の4人であった。
テレビでいつもモーニング娘。を見て楽しんでいた普通の少女たちはまず加入直後に、お茶の間での想像とは全く違う、妥協を許さないパフォーマンス集団・モーニング娘。の高い壁にぶつかる。
「スピードもクオリティーも全部が想像以上」(新垣)(※1)
しかも彼女たちが加入した頃のモーニング娘。はすでに完成された大成功コンテンツになっていた。5期と同世代だった4期の辻加護コンビも含め、それまでの加入メンバーは全員がすでに強烈な個性をウリにテレビの人気者となっている。
「スタッフさんからも『4期見て学んで、もっと個性を出しなさい。つるんでばかりいないで』なんてこともよく言われて、泣いて」(高橋)(※2)
「私達には何が足りないのかなって」(高橋)(※1)
そして先輩たちとの差をなかなか埋められない5期が苦悩の真っ只中にいた2003年1月、さらなる新戦力が加わることが発表された。6期メンバーとして選ばれた藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの4人である。
藤本は当時すでにソロアイドルとしてその地位を確立しており、2002年の暮れにはNHK紅白歌合戦への出場も果たしていたが、その紅白の楽屋で藤本は突然、モーニング娘。入りを通達された。
また亀井、道重、田中もオーディションの合格とほぼ同時に、何の前知識もないまま、モーニング娘。の新プロジェクト「さくら組」「おとめ組」のメンバー入りを告げられている。
モーニング娘。を分割することで大人数編成では対応できない小さな会場でのライブを可能にする、そんな構想の元に立ち上がったこのプロジェクトだったが、藤本を除く新メンバー3人にとっての初撮影は、16人のモーニング娘。としてではなく、さくら組おとめ組に分けられたスタジオ収録だった。
そして6期の彼女たちもまた、気づけばこの時代特有の〝痛み〟に耐える日々を過ごすようになっていく。
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