二十四時間戦えますか

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【第5回】2019年、人生に絶望したトリコは、酔っ払った勢いから、睡眠薬で自殺を図った。走馬灯のように、トリコの青春のすべてだった伝説の2人組ユニット「ドルフィン・ソング」が甦る。だが、死んだはずのトリコはバブル真っ盛りの1989年の渋谷で意識を取り戻した。ひとまず、暮らしをするべくアルバイトを見つけるが……。

5 二十四時間戦えますか

 翌朝、私はコンビニで『B ing』を立ち読みして、住み込みのアルバイトを見つけた。

 場所は赤羽。仕事はスーパーでレジ打ちと品出し。募集要項に「年齢は二十~五十代」とあったが、少しサバを読んだ。やはり少しでも若いほうがいいだろうと思ったのだ。でも当時は超売り手市場で、雇う側も労働力を確保しようと必死だったのだろう。でたらめに書いた履歴書と面接で即採用が決まった。

 身元のはっきりしない人間を雇うなど、二〇一九年ではありえない。バブルでお金が余っていたから、人はいまよりみんな大らかだった。

 これまで仕事が長続きしなかった私だが、真面目に働いた。仕事は忙しかった。お店ではおばちゃんが、ろくに値札も見ずにカゴに投げ入れていた。高いものから順に売れていき、客は金を出すことを惜しまなかった。

 私は店で余った惣菜をもらい、当座を凌いだ。毎日くたくたになり、東南アジアから来た人たちが大半のアパートへ寝に帰った。

 初めての給料を手渡しでもらう頃、少しずつだが考える時間ができた。

 それまでは、あすになればとか朝が来れば……とか思っていた。夢が夢ならそれでもかまわないと。ところが目を覚ますと変わらず六畳の部屋の布団に包まっていた。酷い世の中だったとはいえ、自分が本来いた時代が恋しかった。戻ったところで誰かが待っているわけでもないのに。そしてお決まりのように考えることは一緒。

 なぜ私は三十年もむかしの時代にタイムスリップしたのだろう?

 ラベンダーの香りがしたわけでもない。この世界にドクはいないし、デロリアンも存在しない。タイムスリップしたらどうやって帰ってくればいいか? 学校では教わらなかった。


 本当なら過去とはいえ、真っ先に自分の親がいる家に向かうべきなのだろう。自分たちと年齢がさほど変わらない、中年になった私と会っても、血の繋がりのようなものを感じて、受け入れてくれるかもしれない。

 しかし一九八九年には、すでに両親ともこの世にいなかった。

 人権活動家だった親に、良い思い出はない。いまで言うところのNPО活動に、父親も母親も終始していた。一般の人から見たら、「ボランティア=お人好しのヒマ人がやるもの」と思われていた時代だ。  両親ともあの世代にありがちな、典型的な欧米コンプレックスで、口を開けば、「ヨーロッパではすでに—」が飛び出した。曰く、「イギリスでゲイ差別の発言をしたら、どんな有名人でもキャリアが崩壊する」「ドイツでナチス賛辞の本を出したら、その瞬間に書店も著者も出版社も一斉に社会から攻撃され、死んでお詫びをしても人から口を利いてもらえない」などなど。

 特にフランスには、妄信的な憧れを抱いていた。なんせ一人娘に、フランスの三色旗(トリコロール)から、トリコと名付けるぐらいなのだから。

 子供の頃はイジメられたし、名前の由来を訊かれても恥ずかしくて口にできなかった。

 父も母も、幼い私をよく海外へ連れて行った。北欧とか、オシャレな観光名所ではない。これが世界の現実だと、貧困地域や発展途上国へ同行させられた。あまり覚えていないし、思い出したくもない。「おまえは恵まれた環境にいるんだよ」と、教育の一環のつもりだったのかもしれないが、完全にトラウマになっている。当時はそんな言葉はなかったけど、幼児虐待だろあれ。

 当然、思春期を迎えると、親を批判した。友達の親は不動産を転売していい車に乗っている。高い絵を飾ってブランドものを着ている。バブルで世間は浮かれているのに、うちはよくわからない慈善団体を運営しているから、きょうもおかずははんぺんとアジの開き。どうして我が家は貧乏なんだと責め立てると、父親は悲しそうな笑みを浮かべてこう返した。

「私もお母さんも、やらなきゃいけないことをやっているだけだよ」

 私は「娘にまで迷惑をかけるな。もう海外には付いていかないし、行くなら自分たちだけにしてくれ」と宣言した。

 そして私が十四歳のときに、父と母はスリランカの内戦に巻き込まれて死んだ。

 反政府軍に誘拐されて、日本政府に身代金を要求され、挙げ句殺された。涙も出なかった。「いつかこうなると思っていた」と子供心に思った。  政治家と自治体と弱者に、いいように使われた一生だった。私は親を反面教師にして育った。私の人生哲学はひとつだけ。—人は国とか社会正義とか、大義のために生きてはいけない。自分のために生きることがいちばんだ。

 それにあれだよ、「人の為」って書いて「偽善」の「偽」だよ。みつをも言ってた。

 点けっ放しのテレビには『ザ・ベストテン』が映っていた。すでに司会は久米宏と黒柳徹子のコンビではなかった。光GENJIが出てきて、ローラースケートで踊っている。キラキラしていた。

「それじゃあみんなで、はい、ポーズ!」

 番組のシメは記念撮影だった。森高千里と酒井法子が笑っている。ふたりはこの先の人生に、天と地ほどの差がつく。やっぱり結婚する相手は重要だよなあと、つくづく思う。

 私は寝そべりながらまた考える。私が、この時代に送り込まれた理由を。

 この時代に来たからには、何か理由があるはずだ。やるべきことが。

 一方で、「何を言ってるんだ? 身分を証明するものもない、お金もない四十五の女が頼る者もなく、生きていくだけでも大変なのに?」と囁く声がする。

 堂々巡りの果てに、やっぱりこう考える。

 これは生き直しのチャンスを与えられたのだ。人生をやり直せってことだと。

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ドルフィン・ソングを救え!

樋口毅宏

林真理子さん、燃え殻さんも才能を認めた著者の会心作を限定公開!  2019年、45歳独身で人生に絶望したフリーターのトリコ。睡眠薬で自殺をはかって目覚めたのは、1989年の渋谷だった! トリコに幸せは訪れるのか?  「めちゃくち...もっと読む

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