〈「いだてん」第2話「坊っちゃん」あらすじ〉
この日、テレビ寄席で志ん生が語るのは、日本初のオリンピック選手となった金栗四三(中村勘九郎)の知られざる熊本での少年時代。学校まで往復12キロを走る「いだてん通学」で虚弱体質を克服した四三。軍人に憧れ海軍兵学校を受けるも不合格に。身体を鍛えても無駄と落ち込む四三だが、幼なじみのスヤ(綾瀬はるか)に励まされ、嘉納治五郎(役所広司)が校長を務める東京高等師範学校への進学を決意する。運命の出会いが近づいていた。(番組公式HPより)
うそは、おかしくも哀しい。
人は、どれくらいうそをつくのか。学生たちに日記を携帯してもらい、うそをついたやりとりのあとにできるだけ早く記してもらうという方法で、その頻度を調べた研究がある。その結果、男性は1日平均1.57回、女性は1日平均1.96回うそをついていたという(村井潤一郎「青年の日常生活における欺瞞」2000年 『性格心理学研究』)。これはアメリカの先行研究ともだいたい一致する数字だそうだ。
人は1日に平均1度から2度、おかしくも哀しいふるまいをする。
一方、他者をうそだと思うのは男女とも1日平均0.36回、3日に一度の割合だという。うそをつく頻度からするとずいぶんと少ない。どうやら、わたしたちのうその多くは、ばれずに済んでいるらしい。
「おかしくも哀しい」などとつい書いてしまったが、そもそもうそをうそと知らなければ、おかしくも哀しくもない。わたしたちが、うそをおかしくも哀しくも思うのは、それがうそだとわかり、わかりながらうそをついた当人を黙って見ているよりほかないときだ。わたしたちは黙りながら、うそをつかねばならぬ当人の事情を思いやり、それしきの事情でと思い、おかしくなる。それしきの事情で自分もうそをつくことがあるかかもしれぬと思い、おかしくも哀しくなる。
うそをつく事情
物語をきく者は、ときどきおかしくも哀しくなる。物語の中のうそを、黙ってみているよりほかないからだ。そして語り手はその語り口によって、ばれずに済んでしまいそうな誰かの小さなうそまで暴いていくことがある。
金栗四三の父・信彦は、眼前に広がるかつての西南戦争の激戦地、田原坂を見おろしながら、春富村の家に官軍の兵士が入ってきたときのことを五歳の四三に語る。代々伝わる刀を隠し通したというその話はしかし、どうも微妙で釈然としない。「父ちゃんな、体んわるかばってん、ご先祖様の刀、命がけで守ったとばい」。そうも言えるのだろうが、どちらかというと命を守るために、ある刀をないと言い張っただけではないか。
生きるか死ぬかの体験談なのに、信彦の話はおかしくも哀しい。単にうそで窮地を切り抜けたからではない。時空を越える二つのショットのつながりによって、語りの中のうそとは別の、小さなうそが暴かれているからだ。病身であることを全身でアピールするように平伏している信彦と、官軍に立ちはだかったかのように「ございまっせん!」と四三に仁王立ちして見せる信彦。刀を守った信彦の姿は、本当はそれほど格好のよいものではなかった。もちろん、父親の過去を初めてきく四三には、父の言うことがほんとうかどうかを疑う手立てはない。けれどわたしたちは物語の聞き手として、過去と現在を鋭く照らし合わせる特権を得てしまう。信彦が語りにこっそりまじえたうそを知ってしまう。平伏を仁王立ちにする。たいしたうそではない。でも、逐一日記につけなさいと言われたなら記されるにちがいない。この日一つめのうそをついた、と。
弱い体を無理矢理仁王立ちに仕立てて、五歳の子供を相手に「ございまっせん!」などと虚勢を張らなくてもよいではないか。しかし、信彦にはそういう小さなうそをつく事情がある。初めての息子との長旅なのに、重曹水重曹水と頼るばかりでふがいない。少しでも息子に、父親らしいところを見せたい。その気持ちが、信彦を仁王立ちにさせるのだ。そんな風におもんばかって、わたしたちはおかしくも哀しくなる。
嘉納先生と話すことも抱き上げてもらうこともできず、とぼとぼと帰った二人を、家族は待ってましたとばかりに迎える。「四三、どぎゃんだった?」「四三、嘉納しぇんしぇーには会えたつか?」ここで四三は父親を見る(子役の一瞬の表情を捉えてこのショットをはさむ井上剛の演出、おそるべし!)。父の信彦は、一瞬つまってから一笑する「ハハハハハ!そんために行ったったけんが。な、四三」。
信彦は、この日二つめのうそをついた。胃弱の信彦には、真実を言うのは耐えられない。信彦にとってうそは、息子との二人旅をやり遂げ、布団にたどりつくための、精神の重曹水なのだ。
さっきのうそとは違って、このうそは、四三にもわかった。なぜなら四三は、照らし合わせる過去を持っているからだ。四三は嘉納先生に会ってはいない。だっこもされていない。けれど、四三は黙っているよりほかない。家族の笑顔に囲まれているからだ。だから、たった五歳の四三が、少し哀しそうに見える。