「グレイス、正しい判決かい?」訊かずにはいられなかった。
「正しいも、正しくないも問題ではありません。世間は罪人が欲しいのです。犯罪が起きれば誰がやったか知りたい。わからないのは嫌なのです」(『またの名をグレイス』より引用)
最近、NHKのつくった『フェイクニュース』というドラマが話題になったり、トランプ大統領のSNS戦略が話題になったり、なにかと「虚偽の情報」にまつわるニュースが多い。そりゃまーこんだけSNS全盛で、みんなが発信したり反応したりするようになりゃ、情報の真偽が問題になるのは当然かもしれない。しかーし、それにしたって多い。多いよ。「もういいよーネットなんて使うにはわたしもみんなもまだ幼すぎるんだよー」なんて嘆いてみたくなる。
けれど。立ち止まって考えてみると、「情報の真偽」が話題になるなんて、今に始まったことじゃない。
マーガレット・アトウッド(イギリスのノーベル文学賞ことブッカー賞受賞者だ!)作『またの名をグレイス』は、そんな「真偽」のあやうさを問う。今一番読まれてほしい小説、だと思う。
『またの名をグレイス』マーガレット・アトウッド
(上下・岩波現代文庫))
『またの名をグレイス』の題材は、1843年にカナダで実際に起きた殺人事件。
口減らしのため売られた美少女グレイスは、貴族の屋敷キニア邸の女中仕事に引き抜かれる。が、あるときグレイスは、屋敷の主人キニアとその女中頭ナンシーを殺害した容疑で捕まることとなる。グレイスの共犯者として捕まった、同じく屋敷の使用人・マクダーモットはすぐに絞首刑となったが、「グレイスにそそのかされた」と最後まで叫んでいた。しかしグレイスは「殺人事件の記憶がない」と言う。
長いあいだ投獄されていたグレイスに、医者サイモンが事件について問いはじめる。はたして事件の真相は? グレイスは罪を犯したのか?
……と、こう言うと、19世紀カナダのお屋敷でのミステリ・サスペンスか~~と思ってしまうのだけど。『またの名をグレイス』のジャンルは、決してミステリではない。事件の回想は全編通して「サイモン先生に対するグレイスの語り」によって進んでゆくのだけど、読者は最後までグレイスを信頼していいのかわからないのだ。
「信頼できない語り手」という現代の小説ではよく使われる手法だけど(ノーベル賞作家のカズオ・イシグロなんかが得意)、『またの名をグレイス』の場合、これをミステリ仕立ての殺人事件の回想に使うから意地が悪い。
そう、グレイスは、読者とて信用していない。読者が「そんで事件の正しい情報はどれなのよ」とねだったところで、グレイスは簡単に「真実」を渡してこない。
たとえばサイモン先生がグレイスのもとへやって来て、「りんご」を渡す場面。
このときグレイスはとても喉が渇いていたのでりんごを一刻も早く食べたいのだけれど、グレイスはりんごを食べようとしない。
本当は、食べているところを見られたくない。ひもじさを知られたくない。欲しいものを知られたら、あの人たちはそれを使って苦しめる。一番いいのは何も望まないこと。
彼はちょっとだけ笑って、それが何か言ってくれないか、と訊いた。
私は彼を見て、そして目をそらす。「りんご」、と答える。私を馬鹿だと思っているに違いない。それとも何かの策略。(『またの名をグレイス』から引用)
これまでグレイスは他人から自分や自分の罪を定義されてきた。だからこそ他人から自分をどう守るか、そして他人から見える自分をどのようにコントロールするか、常に考える。たとえそれがりんご一つであったとしても、それを望むところを見せたら負けだ、と思っている。
サイモン先生がりんごを渡す場面は続く。
彼はゆがんだ笑顔を浮かべる。りんごを見て何を連想する?
先生、もう一度お願いします。おっしゃることがわかりません。
きっと謎なぞだ。メアリー・ホイットニーのことを思う。そしてあの晩むいたりんごの皮を肩越しに投げて、誰と結婚するか占ったことを思い出す。でもそんなことは口に出さない。
ちゃんとわかっているはずだろう、と先生が言う。
刺繍見本、と私は答える。
今度は彼がわからない番だ。何?(中略)
彼は、精神病院のバナリング先生のように、当てっこ遊びをしている。常に正しい答えがあり、その答えが正しいのは、彼らが望む答えだからだ。彼らの顔をみれば正しい答えを当てたかどうかわかる。(中略)
「智恵の木」のりんご、それが先生の意図する答えだ。善と悪。どんな子供でも当てられる。私はその手には乗らない。(『またの名をグレイス』から引用)
人は他人と接するとき、他人への先入観を事前に持つ。たとえばりんごを渡して「このりんごから何を連想する?」と聞く医者は、心の中で患者に「智恵の木のりんごって言ってもらえたら、自分の仮定は正しかったのだとわかるんだよな~」と思う。自分の想定が正しかった、やっぱり思った通りだった、と言いたいから。
わたしたちは、「ほらやっぱりそうだった」と思いたい。だからこそフェイクニュースなんて存在する。ほらやっぱり悪いのはこの人だったじゃん、って言いたいから。
本当は他人の意志や感情なんて、わかるはずがないのに。
美少女の殺人犯には心の闇があってほしいし、凄惨な事件を起こしていてほしい。そして「あーやっぱりそういう子だったのね」と安心する。それは殺人事件を知った大衆も、グレイスにインタビューを始めたサイモン医師も、そして小説を読む読者も同じだ。わたしたちはグレイスにどこかで黒い期待を抱く。
グレイスは、そんな他人の身勝手な偏見を知っているからこそ、他人から自分を守らざるをえない。それが正しくない「嘘」を語ることであったとしても。
小説で描かれた事件の真相は読んでいただくとして、グレイスは「キルト」を物語中に編み続ける。彼女はキルトの柄について語る。
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