ユカ 33歳
(アカウント:人妻の美香
「結婚4年目セックスレス人妻。DM解放しています」)
「美香さん……」
鉄平がふいに顔を近づけてきた。唇に視線と気配を感じる。 けれど、これはダメだと思った。少しでも恋心のある真面目な男性だったらアリかもしれないけど、相手は初対面の遊び人で23歳。
私の中の芯のようなものが「それは違う」と教えてくれている。どんなにふりをしてみたって私はやっぱりユカなのだ。
体をひねって、鉄平の口をおさえて「ごめん、ちょっと違うんだ」と言うと鉄平もさっと引いてくれた。 「ううん、ごめんね、美香さん」
しゅんとした鉄平の顔が子供じみていて、つまり純真なものに見えて、私はこの子にこれ以上、嘘をついたらいけないと思ってしまった。
本音がぽろぽろと口から滑りでる。
……本当の名前は、美香じゃないんだ。ユカっていうの。でも、人妻って言うのは本当。キスとかは出来ないけど、友達になってくれないかな。
そう言うと、鉄平が「えー、何がほんとなの? ユカっていうのも怪しいな、怖いよ、怖い」と言って笑う。口説く時以外は全て早口でせわしない。鉄平の目がさっきより少しきつく見える。こちらの態度があちらの思い通りにならないことと、私が嘘で自分を塗り固めていたのが面白くないんだろう。
「ねぇ、怖いよ。俺は本名も働いてるところも教えたじゃん。ユカさんだけ本当のこと言ってくれないのは怖い。ユカは本当なのね?」
「うん、ユカはほんと。人妻もほんと」
どうか彼と、セックスする男と女ではなく、人間と人間のおつきあいが出来ますように、という私の心の奥の願いが届いたのか、鉄平は、じゃあいいよ、友達になろう、とあきらめたように言ってくれた。
一呼吸おいて「あ、一番年上の友達かも」と付け足す。
一番年上かぁ……。
チクリと胸がかすかに痛む。友達になったせいで異性としてのフィルターが外れたことが少しだけ惜しく思えた。この人からきっとこの先私は、もっと傷つく言葉を聞いてしまうだろう。
「じゃあ、友達になるとして、今から何する? お話でもする?」
女としての興味がなくなった瞬間、緊張がとけたのか、お酒の中の氷を指でつんつんと触ったりして、自由な振る舞いをしだす鉄平。
そう言われると困ってしまった。
ツイッターでいつも見てる人に会いたかった。会えば満足だった。その先なんて考えていない。
「そうだね、何しようか」と目が覚めたようにつぶやくと、鉄平はあきれ顔で「もー、ユカさーん、何がしたいの、ほんと」と言った。本音を隠すことを知らない彼の表情はまっすぐすぎて、そのまま胸まで突き刺さってくる。
私、何がしたいんだろう、ほんとに。
したいことなんてないんだよね、たぶん。
だからこうやって、誰かが何かを仕掛けてくれるのを待っちゃうんだよね。
私ってバカだなぁ。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。