「ボクシングを辞めたあとは、どうやって生きてたんでしょうね?」
「いや、しばらくは飲食店とか、色んなとこで働いてたみたいですけど、ネットで情報が出回り始めてから、段々難しくなってきて、あとはずっと派遣だったみたいですよ。」
淡々と答える大祐を見ながら、城戸は、この人が殺害されているのではないかと疑ってきた、この一年数ヶ月のことを思い返していた。
「曾根崎さんは、……今は何されてるんですか?」
「俺は、……まあ、色々。いいじゃないですか、それは。」
「すみません。」
「いいですよ。」
「いや、暴力団員の子供っていうのは、それはそれで不自由なんじゃないかと思いまして。」
「それは隠してますよ、もちろん。リアルにヤクザの息子だったとしても、カタギで生きていきたい人たちはそうじゃないですか?」
「ええ。」
「一回だけ、職場の飲み会で、あんまりうっとうしいヤツがいたんで、言ったことあるんですよ。大きな組だから、具体名も出して。それ以来、俺に対する態度が全然変わって。俺もなんか、自信になってるところもあるんですよ。本当は、スゴいヤバい家に生まれてるけど、それを隠して、まっとうに生きようとしてるって思うと。」
「……なるほど。」
「昔の俺とは違いますよ、だから。──俺は、本物の曾根崎さんに会ってないから、イメージ湧かないんですよね。だから正直、原さんがベースになってるんですよ。原さんがもしヤクザの息子だったらって考えて、そこからイメージを膨らませて。俺も昔、ボクシングしてたことになってるんですよ。」
城戸は複雑な笑みを過ぎらせた。
「才能あったみたいですよ、原さんは。東日本の新人王トーナメントで優勝してますから。」
「マジですか? へえー、それは言ってなかったな。……けどもう、その、……」
「亡くなってます。」
「かわいそうに。……ま、でも、谷口大祐が、もうこの世に存在してないと思うと、清々しますけどね。原さんにはがんばってもらいたかったけど、どっかであの一家の次男が生きてると思うと、正直、気持ち悪かったし。」
「その件ですけど、事情がわかって、谷口大祐さんの死亡届は取り消されてます。まだ生きていて、行方不明者ということになってます。」
「え、そうなんですか?……」
大祐は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、幾つか質問をしながら、そのことの意味を改めて考えている風の表情をした。そして、
「原さんは、……谷口大祐になったあとは、大体、どうしてたんですか?」と尋ねた。
城戸は、原誠がS市で里枝と出会ってから亡くなるまでのことを掻い摘まんで話した。大祐は、腕組みして、しきりにタバコを吸いながら、神妙な面持ちで聞いていた。子供がいるという話をすると、目を瞠って、しばらく上を向いて考えごとに耽っていた。
「因みに、その奥さん、美人なんですか?」
「え? ああ、まあ、かわいい感じの人ですよ。目がくりくりっとしてて。」
「へえー。そっか。いいな。……ふーん。俺がそのS市に行ってたら、俺がその人と結婚することになってたのかな。」
「それは、……どうでしょうね。」
「早死にしたのは気の毒だけど、羨ましいですよ、幸せな家庭が築けて。……ふーん。失敗したかな。……」
「ご結婚は?」
「出来ないですよ、金もないし。」
「谷口家に戻られる気はないですか? 遺産もありますし、お母様は会いたがってるみたいですけど。法的な問題は、僕が、……」
「嫌だね。そういう話なら帰るよ。」
大祐は俄かに不機嫌になって、手に持っていたライターをテーブルに投げ出した。城戸は謝って、ただ、相続権についての一般的な説明をしたが、大祐はその話に集中できなかった。
「俺はホームレスになったって、あの家の人間とは会わないですよ。『谷口大祐』は、戸籍上、どうだろうと、もう死んだってことでいいじゃないですか。……ただ、美涼には、もう一度だけでいいから、ずっと会いたかったんですよ。自分が死ぬところを想像して、誰に見舞いに来てもらったら嬉しいかっていったら、美涼ですよ。あいつだけ。本当に、そういう場面、何度か想像してたんですよ。バカでしょう? 城戸さん、会ったんでしょう?」
「ええ。」
「今もまだかわいいですか? 歳取ってます?」
「あと、十五分くらいで来ますよ。美人ですよ、今でも。」
「結婚してます?」
「それはご本人に訊いてください。」
「ってことは独身? ヤバいな。……俺が人生でつきあった中でも、ダントツでかわいい彼女ですよ。『谷口大祐』のことはもうほとんど忘れてるけど、美涼とつきあってた時のことだけは、今もよく思い出すんですよ。──エロいこととか。……」
大祐は、そう言って、気が滅入るほどいやらしい笑い方をしてみせた。
城戸は、見た目こそ違うが、結局のところ、恭一と彼とは似たもの同士の兄弟なんじゃないかと感じた。少なくとも、美涼とつきあっていた時の大祐は、そうではなかったらしいが。……ヤクザの子供だという〝自信〟が、彼をそうさせているのか。それとも、無意識に、どこかで兄の態度を模倣しているのか。いずれにせよ、彼の性質にのみ帰すことは出来ないような、境遇の不幸が齎した、一種の精神的荒廃を感じた。
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