テレビからライブへ、振り真似文化を広げたステージの変化
音楽業界全体がCD不況の中、それとは反比例するように売り上げを伸ばし拡大し続けているのがコンサート事業やライブビジネスです。インターネットや携帯電話の普及により人々の消費様式が多様化したことが、CDが売れなくなった主な原因とされていますが、同時に世の中には音源そのものではなく体験に対価を支払う風潮ができました。
『ASAYAN』放送時に比べ、テレビで見る機会こそ減ったHello! Projectも、実はこの辺りからパフォーマンスレベルはどんどん研ぎ澄まされていきます。2002年に開催された『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』で合格した15名は、2004年にBerryz工房、2005年に°C-uteのメンバーとして選ばれ、活動を始めました。
「ボーカリストを目指していたがグループを結成することになり、振りが付いた」初期のモーニング娘。と違って「国民的アイドルグループのモー娘。」に憧れてオーディションを受けた彼女たちは、歌とダンスを同時に始めることになります。そのため最初から歌って踊ることへの抵抗はなく、自然とそのレベルは向上していきました。
一方、モーニング娘。自体も2007年に高橋愛がリーダーに、新垣里沙がサブリーダーに就任してからは今までとは打って変わってほとんどメンバーの増減をなくし、楽曲も「元気で楽しい」ものから「ダンサブルで魅せる」方向へと転換して、パフォーマンススキルは着々と磨かれていきました。
こうやってHello!Projectのアイドルたちは、主戦場がテレビからライブへ移っても、会場へ足を運んでくれる層をしっかりと掴んでいたのです。そしてファンが客席で一緒になって踊ることは「振りコピ」と呼ばれ、そのスキルも同時に円熟していきました。元々国民的振り真似ソングだった「LOVEマシーン」や「恋愛レボリューション21」のような楽曲だけでなく、難易度の高い振付がたとえ初披露の場合でも、1コーラス目を見れば2コーラス目でなんとなく一緒に踊れてしまうような猛者も現れました。こうしてアイドルと同じ振付を踊る光景もまた、テレビの前からライブ会場へと場所を変えていったのです。
アイドルパフォーマンスのスペシャリストとして“プラチナ期”と呼ばれる2007〜2010年頃のモーニング娘。
AKB48は専用劇場を建て、2005年末から「会いに行けるアイドル」をコンセプトに活動を開始しました。2008年頃からは徐々にテレビの露出が増えていきましたが、それでもわずか250人キャパの劇場公演は変わらず続け、ライブのみならず握手会も積極的に行うことで「体験に対価を支払う」という価値観を、幅広いアイドルファンに根強く植え付けたのです。
それをモデルケースに2010年代からはアイドル戦国時代と呼ばれるほど、アイドルの数が増えました。これは活躍の場がテレビだけに留まらなくなったことも大きく影響しています。冬の時代といわれた1990~2000年代と違って、SNSを駆使しグループや楽曲を知ってもらいライブの動員数を上げることが可能になったからです。アイドルのライブシーンが盛り上がると必然的に振りコピ人口も上がり、振付を作る際にそれを加味することは、アイドルダンスができるまでのひとつのプロセスになりました。
「踊ってみた」に見る、アイドルダンスとの共通点
アイドルの振り真似文化が浸透し始めたのと同時期に、「踊ってみた」が生まれました。元々自分の踊っている姿を動画投稿サイト「ニコニコ動画」にアップする人は少数ながら存在しましたが、爆発的に増えたのは、2006年のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が放送開始してからでしょう。エンディングでキャラクターたちが、「ハレ晴レユカイ」という曲に合わせて踊るダンスを「踊ってみた」動画が数多く投稿され、それをきっかけに様々なダンス動画が投稿されるようになりました。