汚れすぎちまった悲しみに

林真理子さん、燃え殻さんも才能を認めた著者の会心長編小説!
1月25日に角川文庫から発売予定の同作を、いち早く公開します。

【第1回】2019年、45歳で結婚なし、子供なしのフリーターのトリコ。誰もいない部屋で、言葉にしてみる。「生きている価値がない」どこで人生を間違えたのだろう。

第1部 2019年 → 1989年

1 汚れすぎちまった悲しみに

わたしはきょうまで生きてみました
ときには「誰かの力」を借りて
ときには「誰とも違う」と思って
わたしはきょうまで生きてみました
そして今 わたしは思っています
未来からわたしは 必要とされていないと

 ベッドで見る天井の木目は最高のアートだ。いつだって「おまえはそのままでいいよ」と言ってくれる。クールな笑みを湛えて、一日の終わりに「おつかれさま」と囁いてくれる。「水回りを綺麗にしておけ」とか、「キャリアアップするためにこれをやっておけ」とか強制したり、怒鳴ったりしない。

 この部屋は素敵なスリープ・マシーン。そしてエンタテインメント・ルーム。ヤードセールで買ったリトグラフに、南欧風のパインツリーのテーブル。ウィニー・ザ・プーのマグカップ・コレクション。IKEAのソファに横になりながらテレビを観る。カルビーのポテトチップスを食べながら、手を伸ばせば読みたい本が転がっているし、聴きたい曲が入ったラップトップがある。

 極楽だ。このままでいいよね? と思っていた。ところがだ。

『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』というマンガと出合った。数年前に出た本だ。帯にはこう書かれていた。

「自意識の不良債権を背負ったすべての男女に贈るサブカルクソ野郎狂想曲!」

 久保ミツロウとか大根仁とかブルボン小林とか、私の好きな人たちがコメントを寄せているので、ブックオフのレジに持っていった。

 そして読んだ。

 ショックだった。

 主人公のカーミィは、普段はOLとして働いているが、ミュージシャンとして世に出たいと願う、だけど何の才能も取り柄もない女だ。将来的には中田ヤスタカにプロデュースされ、アパレルブランドを立ち上げ、モデルも兼ねて、『TV Bros.』で執筆活動という野望を持っている。そのためには人を「使えるか/使えないか」で判断するし、好きでもない男とセックスをして、おしっこを浴びることも厭わない。

 笑えなかった。ギャグマンガの体裁を取っているが、ちっとも可笑しくなかった。

 あの滑稽な主人公は、私だった。

 売れているものを見下し、アンチメジャーを認め、「自分は人と違う」というアリバイのために、センスの良さそうな音楽を聴く。映画を観るし、本も読む。自分には見る目があると思っている。いっぱしに批評家を気取り、アマゾンのレビューに投稿する。たまに「参考になった」に投票があって、ちょっと嬉しくなる。

 だけど現実は何もない自分。痛い痛い痛い自分。 『カフェ女』(長いから適当に略した)の主人公は三十五歳で、最後にシングルマザーになるが、私から見たら立派なものだ。

 私は今年四十五歳の、結婚経験なし、子供なしのフリーターだ。

 誰もいない部屋で、言葉にしてみる。

「生きている価値がない」

 誰にも告げず、家出してみたくなる。ひとり暮らしなのに。行くあてもないのに。

 押し潰されそうな焦燥感に苛立つと、決まって私はネットを覗く。そこは敗残者の群れだ。こいつらは仲間だ。限りなく似た者同士。

 どこもネトウヨの書き込みだらけだ。たまたま日本人に生まれただけで、中国人や韓国人に優越感を抱く連中が大勢いる。よかった、自分より下の人間がいて。

「日本は世界で認められている」と意気揚々と語るが、世界が認めたのは日本であり、おまえらではない。ましてやおまえらが中韓をバッシングした気になっても日本語で書いているため、あちらには何のダメージも与えていない。

 だけど連中はお構いなし。ツイッターでもレスがあると嬉しくて仕方がない。リベラルな著名人(いけ好かない!)が挑発に乗って正論で切り返してくる。まんまと引っ掛かりやがってという感じだろう。連中は全員匿名で、他者を罵倒することでしか生を実感できない。

 良識派を叩け。「自分は正しい」とハナから信じ込んでいるあいつらを嘲笑え。  勝者を引きずり下ろすこと。嗤うことが生き甲斐。まるでバケツから這い出ようとするカニの足を引っ張るカニ。姿かたちは人間だけど人間じゃない。私もそのバケツの最下層にいる。

 でも、ふと思う。こんな私だけど、人間だったときはあったかな。

 ずっとずっとむかしから、ひとからどう見られているか常に気にしてきたけど、それ以上に、「認められたい」と願っていた。承認欲求ってやつだ。

 人生は一度だけ。なのに私は無為に過ごしてしまった。

 どこで人生を間違えたのだろう。もっとがんばればよかった? あのとき、ああすればもっと、いまより幸せだったのか?

 だけどもう遅い。

 だってついさっき、私はいいかげん自分の人生に呆れて、酔っ払った勢いから、コツコツ溜めてきた睡眠薬を、まるごとひと瓶飲んでしまったのだから。

林真理子さん、燃え殻さんも認めた著者の会心作、遂に文庫化!

この連載について

ドルフィン・ソングを救え!

樋口毅宏

林真理子さん、燃え殻さんも才能を認めた著者の会心作を限定公開!  2019年、45歳独身で人生に絶望したフリーターのトリコ。睡眠薬で自殺をはかって目覚めたのは、1989年の渋谷だった! トリコに幸せは訪れるのか?  「めちゃくち...もっと読む

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コメント

zackey2001 失礼を承知で言えば樋口毅宏さんを紹介するのに「燃え殻さんも才能を認めた著者」はちょっと違和感。 / “22943” (1 user) https://t.co/u73dQ0089V 8ヶ月前 replyretweetfavorite

Tamayan23 狭量な世界で長年生きてるとこんなもんじゃないの?出る方法を模索しないで、もったいない気がするけど仕方がない…それもまた人生だ。 8ヶ月前 replyretweetfavorite