「俺のことバカだと思ってるでしょ?」
ふとした会話の途中に言われてギョッとした。どうしてそんなこと思うんだろう? 目の前にいるのは、自分より10歳も年上の会社のメンターだ。
「え? そんなことないですよお」。口角をほんの少しあげて返す。きっと冗談だろう。もしくは生意気な態度をとっていたのを注意したのかもしれない。
でも、私は確かに動揺した。うっすら心の中で思っていたことを言い当てられてしまったからだ。
整然と並んだデスクにPCが置かれ、数百人がうごめくオフィス。大勢がカタカタとキーボードを叩く光景は養鶏場のようだった。
何人かの社員が電話をしている。薄く笑いながら「なるほどですね」と薄っぺらい相槌を打っていた。
会社のイロハを教えるメンターと新入社員の会話は、たくさんの雑音に混ざって消えた。
「おい、メシ行くぞ!」と課長が呼びかけると、わらわらとスーツを着た社員たちが続いていく。メンターも急いでその群れに加わった。
スーツの集団を見守りながら、コンビニで買ったパンを頬張る。オフィスを見渡すと、他の部の「群れ」も昼食に出かけたのか席がまばらになっていた。
オフィス街、汐留。よくある昼間の光景だ。
甘い言葉に乗っかれるほど、私はバカじゃない
社会人になった時、自己責任の世界に放り込まれるような感覚があった。能力が高ければ自由が手に入るし、低ければコマになる。受験や就活など競争は何度も乗り越えてきたものの、社会はもっと広大だった。
でも、弱肉強食と言えるほど単純でもない。ぼんやりとしたルールがたくさんあった。
「根回し」という人間関係が大事だったし、なんだかんだ羽振りを効かせるのは中堅以上。「なるほどですねー」と相づちをうった方がクライアントに信用されたり、つまらない提案が採用される。
結局、年功序列じゃないか。機嫌をとるのが正解なのかよ。クソゲーだな。
一人になれる個室トイレでよく考えた。オフィスなんかに戻りたくなかった。あそこに馴染むと自分が失われていくような気がするからだ。
一方で、「きみは何か持ってる」と優しい種を撒く大人もいた。励ましてくれるけれど、水を注いでくれるわけでもなかった。
才能、実力、人徳、スター性……本当に「持っている」なら、具体的な言葉が入るはずだ。でも私は何も持っていないから「何か」という言葉を贈られた。甘い言葉を素直に信じられるほど私はバカじゃない。
何もかも否定して諦念することでしか、自分を保てなかった。意思を持っているような感覚があるからだ。
「私は違うから」と他人を見下しては、本当は何にもない自分がバレるのが怖かった。だから手を差し出してもらっても「どうせ私なんて」と突っぱねるしかなかった。
せめていい実績を残したくて、がむしゃらだった。何もかも1人でやり遂げないと認めてもらえない。強迫観念に駆られて休みもなく働いた。成果は大して変わらなかった。
結局、汐留では何もできずに、気を病んで会社をやめてしまった。迎合するとかしないとか、そういうレベルになる前に自滅した。
20代前半に持っていた「あの気持ち」の正体
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