父は、たった一度しか言わず、城戸も聞き返さなかったが、「実感」ではなく、「実体」と言いたかったのだろうと思っていた。彼は、韓国で生活をしたことがなく、国民としての「実体」が、そこにないことは事実だった。
しかし、それからもう二十年以上経っても、その時の「実感」というふしぎな言葉は、彼の頭に染みついて離れなかった。一種の擬人法で、韓国という国家に、自分の存在の「実感」を持たれていない、という奇妙な想像だったが、彼自身が逆に、韓国という国を「実感」し得たのは、恐らくその時が初めてだった。
或いは、父は最初から、そういう意味で言ったのだろうか?
父が国籍のことで、彼に真面目な話をしたのは、この時を含めて三度だけだった。
もう一度は、高校時代に進路を迷っていた時で、父は、就職差別もあるから、何か国家資格を取った方がいいと助言した。
城戸は、既に帰化もしていたし、第一、今時、悪い冗談じゃないかと面喰らったが、父は真顔だった。彼は結局、文系の生徒にありがちな、非常に曖昧な考えで法学部に進学したが、在学中に弁護士になろうと思うようになったのには、その父の言葉も影響していた。
更にもう一度、父が息子の出自を気にしたのは、結婚をする時だった。反対はしなかったが、母方の祖母が、どうしてもチョゴリで式に参列したがっていたので、海外で式を挙げたらどうかと、母共々提案したのだった。
城戸は、「そこまでしなくてもいいよ。」と呆れて首を振ったが、妻の両親がそのことを彼のために心配しているのを知って、しばらく考えた挙句、新婚旅行を兼ねて親類だけでハワイで挙式し、帰国後にレストランでささやかなパーティを催した。結婚の挨拶に行った際も、挙式で顔を合わせた時も、城戸は両親が卑屈なほどに義父母との対面に緊張しているのを、少し恥じるような、憐れむような気持ちで見ていた。
つい最近まで、城戸の自分の国籍についての意識は、その程度であり、幾ら、あんまりぼんやりしすぎなんじゃないかと言われても、そう大した差別の記憶もなかった。大学入学後に上京して、もっと深刻な差別の経験をしている同じ在日三世の話を聞いたりすると、その痛みを共有していないことに気後れさえ感じた。「村山談話」以後の国内の反動や歴史修正主義の台頭といった政治状況に関しても、鈍感だったと言うより外はなかった。
城戸が、他人から「朝鮮人」と見做されることの意味を、嫌な気分で考えるようになったのは、東日本大震災後に、ここ横浜で関東大震災時の朝鮮人虐殺について考えるようになってからだった。
更に追い打ちをかけるように、昨年の夏、李明博が竹島に上陸して、日本国内のナショナリズムが沸騰し、極右の排外主義のデモまで報じられるようになると、彼は自分が住んでいる国の中に、行きたくない場所、会いたくない人々が存在していることを認めざるを得なくなった。それは、誰でも──どんな国民でも──経験することというわけでは必ずしもないのだった。
その後、何の親切のつもりなのか、長らく音信不通だった大学時代の友人から、ネット上に城戸のことが、小学校の卒業アルバムの写真と一緒に、「弁護士も在日認定!」と書き込まれていると連絡があった。
リンク先を見てみると、彼自身ももう忘れかけていたような独身時代に担当した強盗傷害事件の容疑者が、たまたま在日だったというので、今頃になって蒸し返され、あることないことで噴き上がっているのだった。
城戸は、当の在日でさえ知らなかったような、時代がかったグロテスクな差別表現の狂躁に、これは一体何なのかと、傷つくというより唖然とした。しかし、そこに自分の名前が少年時代の写真と一緒に出ていて、スパイだの、工作員だのと罵られているのを目にすると、流石に心中穏やかではなかった。自分だけでなく、「既婚」で「子供が一人いる」という情報まで出ている。彼はそれに、マウスを持つ手が震えるほど腹が立ったが、同時に、何か体の芯から力が抜けて、存在が立ちゆかなくなるような感覚に見舞われた。その空隙に、冷たく、薄汚い不快が染み渡っていって、もうそのすべてを取り除くことは出来そうになかった。気分というものを、そんなふうに液状の何かと感じ取ったのは、この時が初めてだった。
彼は妻に、今以て、そのことを話してはいなかった。話すべきである気もしたが、話したくなかったし、話せなかった。妻だけでなく、一頃は韓流ドラマに夢中になっていた彼女の母親も、このところの「ヘイトスピーチ」の報道は気にしている様子だった。
そして彼は、これまでたまたま遭遇しても、何かの間違いのようにやり過ごしていた周囲の人間の意外な偏見や差別感情に対して過敏になっている自分に、正直なところ、疲れているのだった。
北朝鮮については、城戸も当たり前のように、その独裁体制を批判していたし、拉致問題は言語道断で、被害者にもその家族にも心から同情していた。それが在日社会にどのような衝撃をもたらし、今に至るまで深手を負わせているかも、一応は理解しているが、それとてやや遠い場所からの認識だった。日本政府の無策にも憤っていた。
しかし、民族性などという話になれば、別問題だった。その体制下に、ひょっとすると、自分と同世代の血縁が生きているかもしれないという想像は、彼を常に、一種、運命論的な思索へと引き込まざるを得なかった。
朝鮮半島の南北統一を願っているかと問われれば、言葉に窮しつつ、穏当に頷くだろう。尤も、いつのことかは見当もつかなかったが。それは、いずれは戦後補償を行って日本も北朝鮮と国交を正常化すべきかと訊かれても同様だった。
城戸は、黙ってやり過ごすつもりだったが、それにしては沈黙が長く、重くなりすぎてしまったので、妙な具合に会話が進まないように、自分から口を開いた。
「八〇年代には、そういう拉致事件もあったみたいです。今回のことがあって少し調べてみましたが、大阪の中華料理屋のコックだった独身男性が、仕事を紹介すると言われて、宮崎から北朝鮮に拉致されて行ったということがあったようです。そのあと、彼の過去や経歴なんかを完璧に身につけて、彼になりすましたスパイが日本に来て、運転免許とか、保険証とかを取得して、数年間活動してたみたいです。その後、その男は、韓国に行った際に逮捕されてますが。」
城戸は、そんな風に他国のスパイが戸籍を盗んで現地の人間になりすますことを意味する「背乗り」という警察用語を、今回の一件を調べていて初めて知った。
「ホラッ! だって、その〝X〟って男の人が死んだのも宮崎なんでしょう?」
高木は、自分の思いつきが、意外にも的を射ていたとギョッとした様子で目を瞠った。常連二人も、それとなく話に聞き耳を立てている様子なので、城戸は、ここではもう、依頼者のプライヴァシーに触れるような話は続けられないと諦めた。
「ええ。ただ、時代も全然違いますし、それはたまたまでしょう。」
「今も、けど、北朝鮮の工作員とか、その辺にいっぱいいるんでしょう?」
「さあ、……まあ、どこの国でもインテリジェンスって人たちが諜報活動をしてるでしょうけど、『その辺にいっぱい』はいないでしょうね。」
「けど、韓国の反日教育とか、ヤバいでしょう?」
城戸は流石にうんざりしてきて、苦笑しつつ頬を強ばらせた。
「北朝鮮の話ですか? 韓国?」
「いや、……どっちもでしょう?」
「全然違いますよ、それは。韓国では、勿論、歴史教育としてかつての日本の帝国主義については教えてますけど、〝反日教育〟とかなんとかいう話じゃないですよ。大体、現代史は日本と同じで、時間的にあんまり教えられないみたいですね。」
「じゃあ、なんであんなに反日的なんですか?」
「誰かそういう友達がいるんですか?」
「いや、テレビとか見てたらそうじゃないですか。」
「まあ、……ソウルに旅行にでも行って、クラブでその辺の若者と仲良くなってみることをお勧めします。」
城戸は、会話をこれ以上、険悪にしたくなかったので、最後は気さくに笑って、美涼にもう一杯、ウォッカ・ギムレットを注文した。高木も、城戸の明瞭な口調から、ハッとしたようにそれ以上は何も言わなかった。
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