これまで読んでもらって気づいたかもしれないけど、僕は曲がったことが嫌いだ。 悪気のないちょっかいなら、それなりに対応できる。でも、礼儀や敬意がない扱いには激しく反発してしまう。
これも、僕を厳しく育ててくれた親父の影響が大きい。
阪神タイガースでプロ5年目を終えたシーズンオフに、僕は突然、引退を表明して世間を驚かせたことがある。
契約更改でもめたとか、チーム内で浮いているとか、マスコミには好き勝手に書かれたけど、一番の理由は監督との対立だった。
あの年、僕は足首を痛めて二軍落ちしていた。
「事件」があった日は、ランニングもできない状態だったから、グラウンドには出ずに、室内でトレーニングをする予定だった。
その予定が首脳陣には伝わっていなかったらしい。
練習開始の時間にトレーナー室に行くと、トレーナーは「どうしたんだ。みんなグラウンドに集合しているぞ」と言う。わけもわからないまま僕もグラウンドに出て行くと、「お前、遅刻だぞ!」とカミナリが落ちてきた。
僕は二軍監督だった藤田(平)さんから、グラウンドの真ん中で正座するように命令された。1時間あまり正座をしていて、釈然としない気持ちになってきた。
そもそも、足首を痛めている選手に正座はないんじゃないか。
これで足が使い物にならなくなったら、誰が責任を取ってくれるんだろう。
いいプレーをして勝つという目標のために、なぜ、正座が必要なんだ?
その一件があってから、藤田監督とは野球の考え方が合わないと思うようになった。その後、正式に藤田さんが一軍の監督になることになり、僕との溝は深まっていく。
ヒジの痛みを訴える僕が、監督から黒潮リーグ(毎年10月中旬に行われる教育リーグ)への参加を強制されたとき、とうとう気持ちの糸が切れてしまった。
それは、僕のヒジが壊れてまで、やるべきことなのか?
「お父さん、倒れたよ」
僕は契約交渉の席で、球団への不満をぶちまけた。
「このままじゃどうしても納得できない。監督が辞めるか、僕が辞めるか。どっちかはっきりしてほしい」
そうまで言っても、球団の態度は煮え切らない。もう我慢の限界だ。
「じゃあ、僕が辞めます」と一方的に宣言した。
「センスがないから野球を辞める」
会見で、僕はこんなふうにコメントした。十分に考え抜いての発言だった。
マスコミに向けて「監督ともめたから辞める」とコメントしたら、球団のイメージが悪くなる。監督にだって言い分はあるだろうから、一方的に監督を悪者にするつもりもない。辞めるのを誰のせいにもしたくない。
だからといって「体力の限界」とか「成績不振」を理由にしても、僕の年齢を考えると無理がありすぎる。
だったら、センスがないということにすればいいと考えた。
僕自身にセンスがないから辞めたんだと言えば、少なくとも球団には迷惑がかからない。僕にしてみれば、球団に対する最大限の礼儀だった。
ただ、会見でコメントをしたらやっぱり叩かれた。
新聞や雑誌には「センスがないから辞めたいなんて、わかったようなことを言って生意気だ」と書かれた。
親父にも正直に「やる気が起きないから、もう辞めたい」と伝えた。
最初は、「もうちょっとがんばれ」とかいろいろ言っていたけど、僕の意志が固いのがわかると「お前が好きなようにしろ」と言うようになった。
しばらくすると、母ちゃんから電話があった。
「お父さん、倒れたよ」 僕のせいで親父が倒れた……。その知らせはショックだった。
早く親父を元気にしなければいけない。僕ができることといえば、もう一度親父に野球している姿を見せることだけ。
「俺が間違っていた。もう一度タイガースでプレーするから、体を治してほしい」
実家にそう連絡すると、僕は球団にもう一度プレーさせてほしいと謝りに行った。
でも、この話はこれで終わりじゃない。
引退撤回を聞いた記者が福岡に向かうと、飲み屋で一杯やっている親父を見つけたという。実は、親父の体の調子が悪かったのを、母ちゃんが「倒れた!」と大げさに言い、引退を思いとどまらせようと芝居を打ったらしい。
わいたこら!
あのころはまだ、親父のためにプレーをしているという意識があったんだと思う。そのくらい親父は大きな存在だった。